No.045『他人の幸せを喜ぶ』
他人が喜ぶことをしてあげるのは、よいことです。
ただし、その動機が肝心です。「自分が好かれたいから」という理由なら、やめた方がよいでしょう。結局、自分も相手も苦しめることになります。
それは、自分でも無意識のうちに、相手の心を巧妙に操作しようとしているということなのです。
自分の思い通りにならなかったときには、逆に恨みに変わってしまいます。
他人からの愛情が得られないといって苦しんでいる人は、自分に問いかけてみてください。
なぜ、自分には、他人に愛を要求する権利があるというのか、と。
あなたが相手に何かを「してあげた」からですか。また、相手が一度でもあなたを愛したなら、永久に愛し続けなければならないという義務が発生するのですか。
愛を要求する権利など、誰にもないのです。
私たちに許されているのは、自分を愛してくれた人に感謝することだけです。
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子供が自分になついてくれないからといって、虐待する親がいます。
もの心もついていない幼い子供にまで「自分を愛してくれること」を要求する親というのは、子供より精神が幼稚なのでしょう。
ふつう、親は、子供が成長していくのを見ることそのものが幸せなのです。子供が親に何か恩返しをしてくれることを期待して子供を育てているのではありません。
「子供が幸せである」というだけで、それが同時に親にとっての幸せなのです。
愛するとは、相手のご機嫌をうかがうことではありません。
「好かれたいから」という理由で人に何かをしてあげるのでは、ただの奴隷です。
そんな人は、いつまでたっても人を愛することはできず、人から愛されることもないでしょう。
他人に愛を要求すればするほど、その利己的な態度ゆえに敬遠され、結局、「どうせ自分は愛される値打ちのない人間なのだ」と自信を失うことになってしまいます。
他人が喜ぶことをしてあげるのは、単に「他人の幸せが嬉しいから」という理由でなければなりません。「だから、私を好きになってほしい」と、よけいなことを考えるから、苦しいのです。
他人を幸せにすれば、自然に、その幸せは自分に返ってくるものなのです。
(おわり)