No.183『自分を裁いてはいけない』
生きていれば、つらく悲しい出来事に幾度となく遭遇します。
人生に苦しみはつきものです。しかし、人は、不運な出来事そのものによって苦しむのではなく、「自分の思い通りにならない」という不満によって苦しむのです。
苦しみから逃れるためには、事態を改善しようという努力も必要ですが、自分の力では変えられないものを受け入れる勇気も必要です。
誰でも、「こうあってほしい」「こうあってほしくない」といういくつかの願望をもつのは当然のことです。
しかし、世の中に「絶対になくてはならないもの」「絶対にあってはならないもの」は何ひとつありません。
「こうあってほしい」という欲求は、明日への希望をもたらしますが、「こうあらねばならない」という思い込みは、逆に私たちを無限の苦しみへと突き落とします。
(↓広告の後につづきます)
自分に自信をもつということは、どのような状態にあっても、ありのままの自分を無条件に受け入れるということです。
たとえどれだけ他人から愛されていても、「この愛を絶対に失ってはならない」と怯えている人は不幸です。
どれだけ経済的に豊かであっても、「この豊かさを失えば自分は価値がない」と思っている人は精神的に貧しいのです。
自分の幸せに条件をつけてはいけません。
自分を無条件に受け入れることが難しければ、まず、自分を「よい人間か、悪い人間か」と裁くことをやめ、自分の行動や状態を個別に判断することから始めてみましょう。
間違いをおかして他人から非難されたとしても、その行為が悪かったのであって、自分という人間そのものを否定されたわけではありません。その行為について反省すべき点があれば反省し、同じ過ちを繰り返さないためにどうすればよいかを考えればよいのです。
また、他人から愛されたとしても、自分が特別に優れた人間だから愛されたのではなく、たまたまそういう縁に恵まれただけだという謙虚さと感謝の心をもたなければなりません。
他人には親切にしたほうがよいに決まっていますが、いついかなるときも親切にしなければ人間として失格というわけではありません。
他人からは愛されたほうがよいに決まっていますが、永久に愛され続けることを求め、他人を支配しようとしてはいけません。
誰でも温かい家庭に憧れるものですが、よい家族に恵まれなかった人は絶対に幸せになれないというわけではありません。
(↓広告の後につづきます)
自分を受け入れるとは、「私は立派な人間である」と思い上がることではなく、「私はよい面も悪い面もある、悩み多きひとりの人間である」とありのままの事実を認めるということです。
ひとつよいことをしたからといって増長してはいけませんし、ひとつ悪い点があったからといって卑下することもありません。
もうひとつ注意すべき重要な点は、自分を受け入れられなくても、そんな自分を責めてはいけないということです。
「つねに明るく健全でなければならない」という強迫的な前向き志向は、かえって自分を苦しめます。
自分を受け入れることができたとしても、完全に不幸を避けられるわけではありません。ただ、「そうしないよりは、したほうがはるかによい」というだけのことです。
楽しいことを楽しいと感じるのも、悲しいことを悲しいと感じるのも、人間の大切な能力です。
自分の心を所有できるのは自分だけであるし、自分を幸せに導こうという意志をもつことができるのも自分以外にはいません。
そういうかけがえのない存在である自分に価値があるのです。
(おわり)