No.220『苦しみをユーモアで転化する』
怒りや嫉妬というのは、苦しい感情です。
さらにやっかいなことに、これらの苦しい感情は、抑えても消えるものではなく、むしろ、抑えようとすればするほど大きくなってしまいます。
苦しい感情は、抑えるのではなく、別のものに転化させればよいのです。
怒りは自分を奮い立たせるパワーとなりますし、嫉妬は自分を向上させるエネルギーとなります。悲しみを感じたことのない人は、他人の痛みに共感することもできません。
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リラックスブック(だいわ文庫) たかたまさひろ(著) 定価 770円(税込) 人づきあいが苦手、小さなことですぐムカッとしてしまう、自信がない、そんなあなたの心を軽くする本 こころのお掃除、始めましょ |
怒りや嫉妬というのは、苦しい感情です。
さらにやっかいなことに、これらの苦しい感情は、抑えても消えるものではなく、むしろ、抑えようとすればするほど大きくなってしまいます。
苦しい感情は、抑えるのではなく、別のものに転化させればよいのです。
怒りは自分を奮い立たせるパワーとなりますし、嫉妬は自分を向上させるエネルギーとなります。悲しみを感じたことのない人は、他人の痛みに共感することもできません。
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なぜあの人は、他人にもっと気を遣えないのだろう。
なぜ恋人は、私の気持ちに気づいてくれないのだろう。
なぜ友人は、自分の都合ばかり押しつけてくるのだろう。
「なぜ〜してくれないのだろう」「もっと〜してくれればいいのに」ということは、誰もがお互いに思っていることです。
不満を抑え込み、イライラをためこむのはよくありません。
他人に対して「〜してほしい」という主張は、正当なものであれば堂々とするべきです。
しかしそのときに必ず考えておかなければならないことは、「そうすることが、相手に何の利得をもたらすのか」ということです。
相手は何も得することはないのに、ただ自分がそうしてほしいからという理由だけで強要するのは、ただの身勝手です。
そうすることが相手にとっても自分にとってもよい結果をもたらすという前提があってはじめて、他人に何かを求めることができるのです。
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ささいなことですぐに落ち込んでしまうという性格の人がいます。
「近所の人につっけんどんな態度をとられた」
「恋人にプレゼントをしたのに、お礼を言ってもらえなかった」
「友人同士が旅行に行っていたのに、自分だけ誘ってもらえなかった」
相手に文句を言おうと思っても、「こんなささいなことで腹を立てるのは大人げないと思われるのではないか」と尻込みしてしまい、さらには、人にも言えないようなつまらないことでいちいち悩んでいる自分が嫌になってしまうのです。
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「私は木が好きだ。与えられた生き方を、ほかのものたちよりもずっと素直に受け入れているように見えるからである」
アメリカの作家、ウィラ・キャザーの言葉です。
木は、地中に根を張り、枝を伸ばし、葉を茂らせ、与えられた生命を精一杯に生きています。
人間のように、ほかのものを傷つけたり、無理に背伸びをしたり、誰が一番偉いかなどと争ったりせず、ただ木として、それ以上でもそれ以下でもなく、あるがままの姿で立っています。
私たちは、木に学ぶべきところがたくさんあります。
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恋人や友人に嫌われてしまった。私は相手に気を遣い、優しくしてあげていたのに。裏切られたことが悔しくて、悲しくて仕方がない。
そういうときは、こう自分に問いかけてみましょう。
「私は、人に認められて当然だという顔をしていなかったか」
他人から愛されるような人間になりたいと思うのは、当然のことです。しかし、実際に他人に自分を「愛させる」ことはできません。
自分にできることは、「愛される人間になるよう努力する」というところまでです。その限度を超えて、他人の心を操作しようとしたから、反発を受けたのです。
腹が立って仕方がないのは、自分のその浅ましさを認めるのが怖いからです。
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人付き合いの苦手な人が、人間関係に大きなストレスを感じてしまう理由は、「相手がどう出るかによって、自分の態度を決めている」からではないでしょうか。
この人は自分を認めてくれるだろうか。自分から好意を示して、もし拒絶されたら悔しい。認めてくれるなら仲よくしたいと思うが、拒絶されるくらいなら、こちらから先に拒絶してやる……。
そんなことをあれこれ考え、他人を試したり、警戒したりしているうちに、相手の一挙一動に振り回されているような気になって、心は疲れ切ってしまうのです。
「私を拒絶すると許さないぞ」と他人を威嚇しても、嫌われることを防ぐことはできません。それどころか、よけいに嫌われることになってしまうでしょう。
他人から嫌われないようにどれだけ気を遣い、へつらっても、そういう卑屈な態度こそが嫌われることもあります。
他人から嫌われることを怖れている人というのは、まるで蛇を怖れて藪をつついている人のようです。
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人は恋人を選ぶとき、無意識のうちに自分の親に似たタイプの人を選んでしまうことが多いものです。
男であれば母親が、女であれば父親が、はじめて出会う、そしてもっとも大きな影響力をもつ異性です。
この親をモデルとして、異性に対する見方が形づくられます。
「私は親が好きだから、親と同じようなタイプの人を恋人に選びたい」という場合はよいのですが、悲しいことに、親を憎んでいる人もまた、親に似た人を恋人に選んでしまう傾向にあるのです。
暴力をふるう父親に育てられた女性は、同じように暴力をふるう男性を恋人に選んでしまいます。
もっとも愛してほしい存在である親に愛されなかった悲しみ、そして自分も親を愛せないという罪悪感。それらの心の整理がつかないために、何度も同じパターンを繰り返して、原因を探し、自分を納得させようとするのです。
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他人に気を回してばかりいては、損をするだけの人生を送ることになってしまう。しかし、自分を優先させれば、自己中心的だと非難されそうで怖い。
自分を好きになれない人は、その堂々巡りで悩んでいるのではないでしょうか。
「自分を愛する」「自分を大切にする」とは、いったいどういうことをいうのでしょうか。
自分に自信がもてない人は、「自分は他人に迷惑ばかりかけている」「自分は何をやってもダメな人間だ」と思い込んでいます。
そして、何とかその思いを払拭しようと懸命に努力するのですが、結局うまくいかず、「こんなに努力してもダメな自分は、何の価値もない人間なのだ」と、よけいに自信を失ってしまいます。
努力しては疲れ果て、そんな自分がますます嫌になる、という繰り返しなのです。
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「夫が、結婚前はいろいろ気を遣ってくれていたのに、今はまったくかまってくれない。自分が女として見られていないことが虚しい……」
よく聞かれる妻たちの悩みです。
もちろん、どちらが悪いのかと言えば、夫のほうです。およそ日本人の男性は、愛情を素直に表現するのが苦手なようです。
しかし、夫を責めても問題は解決しません。そんなに嫌なら別れればいいという話になってしまいます。
「相手が悪いのだから、相手が変わるべきだ」とかたくなに考えていては、何も事態は好転せず、結局自分が損をするだけで終わってしまいます。
結婚とは、どちらが正しいかを競い合うためにするのではなく、互いが幸せになるためにするものです。
たとえ相手が間違っているのだとしても、自分が変わることでしか自分の人生はひらけません。
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「不幸というわけではないが、とりたてて幸せともいえない」という漠然とした虚しさは、多くの人が抱いているのではないでしょうか。
民衆が圧政を受けていた時代は、自由を勝ち取ることが生きる目的でありえたし、社会全体が貧しかったころは、懸命に働いて豊かな生活を手に入れることが人々の生きがいでした。
しかし、自由と豊かさがはじめから与えられている現代の若者は、恵まれているゆえに、目的のない虚しさの中で生きていかなければならないという矛盾にさいなまれています。
どんな信条に従って生きるのも、どんな職業に就くのも自由ですし、がむしゃらに働かなくても飢え死にする心配はありません。乗り越えるべき壁がないのでは、無気力に陥ってしまうのも仕方のないことです。
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