No.102『絶対に失敗しない愛とは』
子供がなつかないからといって、虐待する親がいます。そういう親たちは、原因と結果を取り違えています。
「なつかないから腹が立った」のではなく、「なつかないからといって腹を立てるような親だから、子供がなつかなかった」のです。
なついてくれれば可愛がるが、そうでなければ暴力を振るう。そんな利己的な親に子供がなつくはずがありません。
そういう親もまた、親から愛されずに育った犠牲者なのでしょう。
人は、子供のころに充分に愛されるという経験を通して、人を愛することができるようになります。
自分自身を尊重できる人は、他人と「どちらが優れているか」などと競い合ったりしません。自分も幸せ、他人も幸せ、と両者を認め合うことができます。
そういう人にとって、「他人を尊重する」ということは、呼吸をするのと同じくらいに簡単なことです。
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しかし、愛されずに育った人にとって、「人を愛する」ということほど難しいことはありません。
子供のころに愛されなかった人は、大人になっても、その心の空洞を埋めようと、誰かに「愛されること」を求め続けます。
「まず、相手が自分を充分に尊重してくれなければ、自分も相手を尊重できない」と思い込んでいます。そういう利己的な態度こそが嫌われ、ますます自信を喪失してしまうという悪循環に陥っているのです。
しかし、人を愛することは、実は、誰でも簡単にできることなのです。
難しいのは、「自分も同じように相手から愛されること」です。そこまで要求するから、失敗を怖れて尻込みしてしまうのです。
愛するだけなら、「失敗」することはありません。
「せっかく自分が相手を愛してあげたのだから、相手も自分を愛してくれるべきだ」という思い上がりが、「失敗」という概念を生み出すのです。
相手が自分を愛してくれるかどうかは、相手が決めることです。自分の力の及ばないことでいくら悩んでも仕方がありません。
愛される人間になるためには、まず、自分が「他人から認められたい」と願っているのと同じくらいの情熱をもって、他人を認めてあげなくてはなりません。
自分がされればうれしいことを、積極的に他人にしてあげるのです。
「判っているけど、なかなかできない」という人もいるでしょう。しかし、それができなければ、いつまでもひとりで苦しむだけです。自分を楽にするためには、やるしかないのです。
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人が喜ぶことをしてあげたら、すぐにそのことは忘れてください。「人にしてあげたこと」は、いつまでも覚えておくものではありません。恩に着せるくらいなら、しないほうがましです。
人を喜ばせただけで、充分に自分の価値は高まったのです。それ以上を望んで見返りを要求すれば、逆に自分の価値をおとしめることになります。
愛情は、求めなくとも、いえ、求めないほうが、自然に返ってくるものです。愛情を返してくれる人がひとりでもいると、自分に自信がつきます。人を愛することが楽しくなります。
やがて、相手が自分を愛してくれるかどうかに関係なく、無条件で相手を愛することができるようになります。きっかけさえつかめれば、しめたものです。
自分の価値を自分自身に誇れるようになれば、「他人から認めてもらうこと」など、どうでもよくなります。むしろ、もっともっと他人を認めてあげたい、他人を幸せにしてあげたいと願うようになるものです。
愛することはとても簡単で、楽しくて、幸福感で心を満たしてくれるものなのです。「相手も自分を愛してくれること」を求めさえしなければ。
ただし、ひとつ注意すべきことは、相手をよく選ぶということです。
利用され、もてあそばれているのに、「私は無償の愛を捧げている」と思い込んで耐えている人がいますが、それは大きな誤りです。
喜びが感じられなければ、それは愛情ではありません。
愛することがつらいとしか感じられなくなったら、ひとまず身を引いて、じっくり考え直してみましょう。
(おわり)