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たかたまさひろ(著)

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たかたまさひろ(著)

No.109『苦しみの原因を認める』

人は誰も、他人を傷つけずに生きることは不可能であり、意図せずとも他人に迷惑をかけてしまうことがあります。
自分が大学に合格すれば、そのせいで入れなかった人が必ずひとりはいます。
自分がある人と結婚すれば、ほかの人がその人と結婚する権利を奪うことになります。
自分が満員電車に乗れば、ほかの乗客がそれだけ窮屈な思いをします。
自分の正当な権利を主張することが、他人の権利を侵してしまうこともあるのです。
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自分は他人に迷惑をかけながら生きている、という意識をもっている人は、健全な心の持ち主です。誰しもお互いさまなのですから、互いを認め合い、許し合うことができます。
互いに迷惑をかけながらも、それ以上の喜び、楽しみがあるから、人は関わり合いながら生きています。
良心があるから、罪悪感を抱くのです。その良心を大切にして生きていけばよいのです。

しかし、「自分だけが一方的に他人に迷惑をかけている」と、過剰な罪悪感に苦しんでしまう人がいます。
自分がいるとまわりの他人は不愉快に感じるのだ、自分には愛される価値はないのだ、自分は他人と付き合う権利はないのだ、と必要以上に自分を卑下して、心を閉ざしてしまうのです。

そういう人たちの罪悪感とは、実は、単なる開き直りにすぎません。
本当に他人に申し訳ないという気持ちをもっているわけではなく、罪悪感をひけらかすことによって、自分の心の清らかさをアピールしようとしているだけなのです。
本当は、「他人から認められたい」という欲求が人一倍強いのです。

自分の欠点を素直に認められる人は、欠点によって苦しむことはありません。自分の欠点を認めることが、謙虚さや、それを克服しようという向上心につながります。
自分の欠点を素直に認められる人は、他人の欠点にも寛容になれ、他人を尊重することができます。

自己卑下に苦しんでしまう人は、「どうせ私なんか……」と言いながら、本当は、自分の欠点を素直に認めてはいないのです。
その証拠に、他人から「そうですね。あなたは、本当に価値のない人ですね」と言われれば、腹を立てるはずです。自分で認めているはずなのに、他人から同じことを言われれば、やはり悔しいのです。
自分を卑下しながら、心の底では、「自分が悪いのではない。自分を認めてくれない他人が悪いのだ」と思っており、その憎しみを悟られることが怖いから、他人に心を開けないのです。
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人は、欠点によって不幸になるのではありません。
「認めたくない事実を無視する」ことによって、自分自身を苦しめてしまうのです。
いくら無視しても、事実が変わるわけではありません。「なぜ世の中は思い通りにならないのか」という不満と、自分が自分であることを受け入れられない苦しみが残るだけです。
人間は、誰も完璧ではありません。欠点があることは、恥ずかしいことではありません。しかし、自分の欠点を認めようとせず、ごまかし、強がることは、とても情けないことです。

私たちは、頭が痛くなれば頭痛薬を飲みます。それで治ればよいのですが、何度薬を飲んでもすぐに頭痛がおこる場合は、何らかの病気が原因である可能性が考えられます。
痛みという信号によって、人間は、体の異変に気づき、危険から逃れることができるのです。
心が痛いなら、痛み止めでごまかそうとせず、原因をつきとめて根治しなければなりません。ごまかし続けても、一生、得体の知れない痛みに苦しめられるだけです。

よいか悪いかは別として、まず、ありのままの現実を受け入れてみてください。
不運な境遇ばかりに心をとらわれていては、目の前にたくさん転がっている幸福も目に入らなくなります。
「私は不運だった」といさぎよく認めれば、いずれ苦しみは消え去ります。そして、これまで気づかなかった幸福が見えてくるようになります。
つらい現実を認めることによって生じる一時的な苦しみは、認めないことによる慢性的な苦しみよりは、はるかに軽いものです。
(おわり)

ありがとう ロングセラー 46刷
こころのおそうじ。(だいわ文庫)
たかたまさひろ(著)
定価 770円(税込)

イライラ、ムカムカ、カリカリ…自分の気持ち持て余していませんか?読むだけで嫌な気持ちがなくなります
メッセージ No.100-109
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