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たかたまさひろ(著)

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たかたまさひろ(著)

No.125『ひとつの幸せにこだわらない』

自分はいつも損な役回りばかり演じている。誰も自分の気持ちなんか分かってくれない。他人から傷つけられたせいで、私は不幸なのだ……。
「なぜ他人は、もっと私を尊重してくれないのか」という不満を抱えている人も多いことでしょう。
しかし、ここで冷静になって、この言葉そのものがはらんでいる矛盾に気づかなければなりません。

「なぜ他人は私を尊重してくれないのか」と疑問に思っているということは、自分も他人の気持ちや考えが分かっていないということです。
そうです、他人の心は分からなくて当然なのです。自分は他人の心が分からないのに、他人は自分を理解してくれるべきだ、という主張は、道理にかないません。
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他人の心の中が簡単に読み取れるのであれば、人付き合いは楽しくも何ともないでしょう。
分かり合えないのが当然だから、他人の気持ちをくみ取ろうと努めることに意味があるのだし、自分を理解してくれる人への喜びや感謝が生まれます。
本当は自分が相手を必要としているのに、相手に優位に立たれたくはない、という相反する欲求が、自分を苦しめるのです。

意志の弱い人にかぎって、とかく、「困難から逃げるのはよくないことだ」と考え、自分自身を追い込んでしまいがちです。
人間関係において、つらいこと、苦しいことに直面したとき、「何とか自分の力で解決しなければいけない」と、目の前の問題ばかりにとらわれ、視野が狭くなっているのです。

何でも一緒くたにして「逃げることはよくない」と堅苦しく考える必要はありません。「ささいなことにこだわる」のは、「大切なことから逃げる」のと同じくらいに愚かなことです。

「恋人に冷たく当たられる」という不満を抱いているとき。
もちろん、恋人同士として付き合うのであれば、互いを思いやる努力をすべきだというのは、正論です。
しかし、誰と付き合うかということは、他人から強制されたわけではなく、自分で決めたのだということは、忘れてはいけません。

「一度この人と付き合うと決めたのだから、貫き通さなければならない」というのも、一面ではもっともなことですが、それ以前に、「何のために付き合っているのか」をよく考え直さなければなりません。
恋人に対して不満や疑念しか感じられないということは、自分も相手を愛していないということです。そんな人にこだわるのはやめればよいのです。
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「自分は親に愛されていない」と悲嘆に暮れているとき。
親から愛されるということは、人間にとって大きな喜びのひとつですが、幸せの形はそれだけではありません。
「親は子を愛するべきである」というのは、至極当然のことですが、それがかなえられないときは、「幸福な家庭」という幻想を捨て、ほかの幸せを見つけたほうが賢明です。

親に愛されていないという不満をもっている人は、また、「子は親を敬うべきだ」という道徳規範にとらわれ、それができない自分に罪悪感を抱いているのでしょう。あるいは、それを認めてしまえば、あまりにも自分が惨めであるので、あえて考えないようにしているのかもしれません。
何とかして親に自分を愛するようにし向けさせ、自分も親を尊敬できるようにならなければ、不幸から逃れることはできないと思い込んでいるのです。

不幸にこだわれば、ますますその不幸に苦しめられることになります。
親に反感をもっている人も、「家族は愛し合い、温かい家庭を築く努力をしなければならない」というこだわりを一時捨てて、家庭以外に自分なりの幸せを見つけてみましょう。何かひとつでも幸せを見つけることができれば、結果的には、心に余裕が生まれて、親への敬愛が生まれることでしょう。

一般的に言えば、「逃げずに困難に立ち向かう」ことは、よいことです。しかし、それ以上に重要なことは、「自分にとって大切なことは何か」をよく考え直すということです。
他人に対して怒りや不満を抱いたとき、意地でも自分の主張を押し通すか、相手に譲歩するか、ということ以外に、「気にしない」という第三の解決方法があります。
逃げるのではありません。無用なこだわりを捨てるのです。
(おわり)

ありがとう ロングセラー 46刷
こころのおそうじ。(だいわ文庫)
たかたまさひろ(著)
定価 770円(税込)

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メッセージ No.120-129
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