No.232『どうすれば他人を信じられるか』
ある20代の女性の悩みです。
これまで何人かの男性と付き合ってきたのですが、いつも嘘をつかれたり、浮気をされたりするというのです。
彼に「昨日、何してたの」と尋ねると、「別に。仕事してたよ」という答え。
「ほかの女性と歩いているのを見たと言う人がいるよ」と問いつめれば、「ただの同僚だよ。そんなに俺のことが信用できないのか」と逆に怒られて、別れることになる。
毎度、同じようなパターンの繰り返しなのです。
ただの同僚なら、はじめからそう言ってくれればいいのに。嘘をつくということは、何かを隠していると疑ってしまうのも当然ではないか。
恋人同士は、何でも包みかくさず話し合える間柄でありたい。彼のことを信じたいのに、何度も嘘をつかれて傷ついた経験があるから、どうしても信用できない。
どうすれば男性のことを信用できるようになるだろうか、と悩んでいるわけです。
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嘘をつくのは、たしかによくないことです。
「恋人同士は、何でも包みかくさず話し合える間柄でありたい」という彼女の考えは、まさに正論です。
しかしたとえば、飲食店に入るたびに店主から「お客さん、お金はもっているんでしょうね」と尋ねられれば、誰でも嫌気がさすはずです。
「食事の代金を払うのは当然だから」と正論を吐かれても、納得できるものではありません。
彼女の問題点は、彼が嘘をついているのではないかという前提のもとで、何でも細かく問いつめなければ気がすまないということです。
「昨日、何してたの」という尋ね方が、彼には「ほかの女性と会ったりしていたなら、承知しないわよ」という脅迫に聞こえたのかもしれません。
彼は、「ただ同僚と歩いていただけだけど、いちいちまともに答えていたら、面倒なことになる」と、思わず適当にあしらってしまったのでしょう。
彼女のほうも、いわば「おとり捜査」で彼を試し、わざわざ嘘をつかせる状況をつくり出しているのです。
他人を信用するということを、飲食店のツケを例にとって考えてみましょう。
ツケがきく飲食店でも、はじめてきた客にいきなりツケを認めることはありません。
客が何度も店に足を運んで、常連となれば、店主の信用もえられ、ツケがきくようになります。
店主が客を信用するようになるのは、「このお客さんは、この店に充分満足している」という確信がえられるからです。
もし客がツケを払わずに逃げてしまったら、店主はその分の代金を損することになりますが、客はもうその店に二度とくることはできません。
つまり、店主はその客が「ツケを払わずにすむという利益よりも、店にこられなくなるという不利益のほうが大きいから、みすみす損をするような真似をするはずがない」と見ているのです。
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恋人や友人を信用するとは、「相手は、自分と付き合うことを楽しんでくれている」と、自分の価値を信用するということです。
他人を信用できないという人は、自分を信用していないのです。だまされるのではないかと疑ってしまうのは、「相手にとって、自分は裏切っても惜しくない程度の存在でしかない」と自分を卑下しているからです。
自分への自信のなさの反動が、「私と付き合いたければ、きちんと誠意を見せなさい」という押しつけへと変わってしまうのです。
いくら他人の行動を見張り、心の裏を勘ぐっても、信頼関係は生まれません。自分で自分を信用していないのですから、相手を責めてもはじまらないのです。
「嘘をつくのは悪いことだ」というのは、まっとうな理屈です。しかし、いちいち客の財布の中身を確認するような店に、誰が行きたがるでしょうか。
飲食店が客を呼び込むためにするべきことは、うまい料理を提供し、くつろげる雰囲気をつくり出すよう努力することです。そして何より、誇りをもって、自分の仕事を楽しむことです。
それでもやはり、他人の心は判らないものです。
どんなに誠意を尽くしても、裏切られることもあります。それは他人の問題なのですから、気にしても仕方がありません。
そういうときは、心の中でこう唱えましょう。
「皆、必死で弱い自分を守っているのだ」と。
はじめから他人を疑ってかかれば、相手は「どうせ疑われているのだから、その信用を失ってもたいして損はしない」と、ますます関係を軽んじるようになります。
「相手にとって、自分をだましてえられる何らかの利益よりも、自分との関係が壊れてしまう不利益のほうがはるかに大きい」と、自分の値打ちを信じられるとき、他人を信用することができるのです。
(おわり)