No.240『個性とは何か』
マスメディアで重宝されるのは、個性のある人です。
芸能人にかぎらず、政治家でもスポーツ選手でも、いわゆる「キャラ立ち」している人は、たいしてニュースとしての価値はないようなちょっとした話題でも、大きく取り上げられます。
特異な個性のある人は注目されやすいので、「変わっていること」が人間としてもっとも重要であるかのように思われがちです。
しかし、強い個性で注目された人は、とかくあきられるのも早いものです。
タレントやお笑い芸人など、「個性のある人たち」が次々に現れては、使い捨てられていきます。
特に、目立つ言動や一発芸などで突如として話題となった人は、その刺激の強さゆえに食傷され、すぐに「時代遅れ」となる憂き目にあいます。
無理をしてつくり上げた自分のイメージに自分がしばられ、苦しんでしまう人もいます。
意外にも長く残っている人というのは、地味でも当たり前の仕事をきっちりこなしている人なのです。
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若い人たちの中には、「自分は何の個性もない平凡な人間だ」と、社会の中に埋没してしまうような孤独と不安を感じている人も多いのではないでしょうか。
しかし人間には、それほど際立った個性などというものは、めったにあるものではないのです。
青いおはじきがたくさんあるところに、赤いおはじきをひとつ入れれば、目立つのですぐに見つけられます。
しかし、色とりどりのおはじきの中に赤いおはじきを入れても、すぐには見つけられません。
考えてみれば、個性のある人は、そのほかの多くの人が平凡であるからこそ、目立つのです。みんな個性が強ければ、誰も目立ちません。
平凡な人が多数派で、仲間はずれは個性の強い人のほうです。
「自分だけが個性が乏しい」というのは、矛盾した言い方なのです。
ある大学生のスポーツ同好会がありました。
そのグループに女子学生はひとりで、ほかはすべて男子学生です。
女子学生は明るく朗らかな性格で、男子学生たちから人気がありました。
何とか彼女を恋人にしたいと、男子学生たちがアピール合戦を繰り広げる中で、ひとり、内気で自己主張をするのが苦手な学生がいました。
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彼も彼女のことが好きだったのですが、こんな個性の強い男たちの中で自分が選ばれるわけがないと、はじめからあきらめていました。
ただ、「いつも近くで彼女の笑顔を見られるだけで幸せだ」という態度を示し、特に自分をアピールすることはしませんでした。
ところが、最終的に彼女が恋人に選んだのは、この内気な男性でした。
その理由は、「彼が一番目立っていたから」だということです。
気に入られようとして自分を主張する人たちは、皆似たりよったりで、この男性の「控えめである」という個性こそが、もっとも彼女の心には印象深く残ったのです。
いくら天ぷらが好きな人でも、毎日天ぷらは食べられませんが、白米のご飯なら毎日食べられます。
個性が強いということは、あくが強いということでもあります。
自分の個性を強く主張するならば、「すぐに飽きられる危険もある」ということも頭に入れておかなければなりません。
「個性をもて」ということがよく言われますが、それは「自分らしくありなさい」という意味のことで、けっして「他人と違うこと」や「目立つこと」が個性ではないのです。
「個性」というよりも、「適正」といったほうがよいでしょう。
「個性がない」と悩むのも、愛すべき人間らしさです。
他人を立てることができるのも、ひとつのすばらしい長所です。
すべての人の顔が違うように、個性のない人はいません。
自分は何をしているときが一番楽しく、どういう状態にあるときが一番安心するのか。
無理に背伸びをせず、「自分に合った生き方」を見つけることが、個性を生かすということなのです。
(おわり)