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リラックスブック(だいわ文庫)
たかたまさひろ(著)
定価 770円(税込)

人づきあいが苦手、小さなことですぐムカッとしてしまう、自信がない、そんなあなたの心を軽くする本
こころのお掃除、始めましょ
メッセージ No.010-019

No.010『怖れを捨てよう』

幸運にも、心の温かい両親のもとに生まれ、無条件に愛情をいっぱい受けて育った人は、「自分は価値のある人間だ」という自信をもち、何ごとも肯定的にとらえることができます。
自分と同様に他人の価値も認め、人を信じ、尊重し、愛することができるから、自分もまた人から愛されるという、いい循環が自然に生まれます。

では、親に愛されなかった人は、どうすればいいのでしょうか。
人間は弱いもので、まず自分が誰かに心から愛されるという経験をもち、その喜びを実感できなければ、なかなか他人を愛することはできません。

幼い子供は、親に頼らなくては、生きていけません。親の存在というものは、自分の世界のすべてであり、生死にもかかわる重要な問題です。
その感覚を引きずったまま、大人になって社会にでると、世の中というものを、家族を拡大したものだと考えてしまいます。
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No.011『怒りを乗り越えよう』

「ひとつ屋根の下」という、大ヒットしたテレビドラマがありました。
過去のあやまちの許しを乞う人に向かって、登場人物のひとりが言ったセリフが、とても印象的でした。
「許すも許さないも、人間はそんなにえらくない」

自分を傷つけた人を許すことは、非常に難しいことです。頭では判っていても、なかなかできることではありません。
しかし、許すという行為でさえ、実は、意識の奥に多少の横柄さを含んでいるのです。
「許すか許さないかは、完全に自分の選択にかかっている。今回は、許してやるから、ありがたく思え」と、人を裁く神にでもなったような気になり、相手を見くだしていると言えなくはありません。

もちろん、憎んでいる人を許すということは、大変な勇気のいる、すばらしい行為です。
その「許す」ということさえ、見方を変えれば、ふてぶてしいことなのです。
「絶対に許せない」などというのは、ごう慢以外の何ものでもありません。

人格に問題のある人は、必ず、心の中に、誰かに対する激しい怒りを抱えています。
それは、あまりにも耐えがたい苦しみなので、抑圧し、意識の奥に閉じ込めようとして、ついには本当に忘れてしまうことさえあります。
しかし、いくらごまかしても、無意識の中の怒りの感情が消えたわけではなく、いつまでもくすぶり続け、表の意識をむしばんでいきます。
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No.012『優しさを見極めよう』

「恋人が、以前は優しかったのに、この頃、冷たくなった」
よく聞かれる嘆きですが、たいてい、そういう人たちのいう「優しさ」とは、自分を褒めてくれる、自分を気遣ってくれる、自分にプレゼントをくれる、という程度のものです。

もちろん、そういう優しさも不可欠ですが、それは本来、人間としての優しさではありません。
誰だって、恋の始まりの頃は、相手の気を引こうと努力します。
肉体関係だけが目的のプレイボーイでも、女性を口説き落とそうと思えば、どんなに優しい言葉だって吐くし、女王様に仕えるように気を遣うでしょう。
セールスマンが、商品を買ってほしいばかりに、客をもち上げるのと同じです。

褒められたり、気を遣ってもらったりすれば、気分がいいものですが、「自分を気分よくしてくれる」ということだけで、「この人は優しい人だ」と思い込んではいけません。
「自分に優しくしてくれるから好き」といった程度の恋愛は、意地悪な言い方ですが、相手に飽きられてしまえば、それで終わりです。
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No.013『自分の値打ちは自分で決めよう』

人間は、文字通り、人と人の間にあってこそ意味のある存在ですから、他人からの評価というものは、重要です。
他人の目があるから恥ずかしくない生き方をしようと、プラスに考えられればよいのですが、自分に自信のない人は、いつも他人にどう見られているかばかりを気にして、他人からの評価が自分の価値のすべてであるかのように思い込んでしまいがちです。

他人の評価に一喜一憂して、神経をすり減らしていては、きりがありません。
人にバカにされたからといって、あなたの人間としての価値が下がるわけではないのです。
逆に、あなたが誰かのことをバカにしたからといって、その人の価値を下げることができるでしょうか。そんなことは、不可能です。それと同じことです。

自分の値打ちは、自分で決めればよいのです。
人を愛し、愛されるためには、心が健全でなくてはなりません。自分に自信がなければ、他人を尊重することはできません。
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No.014『孤独の楽しみを知ろう』

孤独を感じたときには、誰かにそばにいてほしい、と強く願うものです。
しかし、淋しいからという理由で恋愛を始めても、長続きする見込みはあまりありません。

淋しいときに恋人を求めても、自分と同じように淋しい人しか寄ってこないものです。
淋しい人同士が一緒にいても、孤独感を癒すことはできません。逆に、ますます淋しさを増すことになってしまうでしょう。
両方が、「もっと自分を認めてほしい」と要求しあうので、いつまでたっても心は満たされず、ついには互いを責め合う結果となってしまいます。

孤独感は、逃れようとすればするほど、大きくなります。
私たちは、孤独と正面から向き合うしかないのです。うまく付き合えれば、孤独は楽しいものです。
自分だけが孤独なのではありません。
人間として生まれた以上、孤独は、誰にとっても避けられない宿命です。
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No.015『内向的な性格を活かそう』

世の中は、外向的な性格の人が、とかくもてはやされます。
自己主張の強い者の勝ち、という考えが広まっており、内向的な性格の人は、何となく隅に追いやられ、肩身の狭い思いをさせられてしまっているようです。

もちろん、外向型の人は、それはそれで、大いに結構なことです。
しかし、それと同じように、内向的な性格にも、よい面はたくさんあるのです。
外向型の人は、パフォーマンスが派手で、目立つので、注目される機会が多いというだけのことなのです。

世の中のおよそ半分の人は、内向型でしょう。
内向型の人は、外向型の人に対して、つい引け目を感じてしまいがちです。
恋愛や人付き合いにおいても、消極的になってしまい、取り残されたような気になってしまうでしょう。

しかし、内向型が外向型に劣るなどということは、絶対にありません。
そもそも、そのように、いつも自分を反省する態度こそが、内向的な性格の特徴といえます。
外向型の人は、よくいえば楽天的、悪くいえば思慮が足りないのです。
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No.016『自分のしたいことをしよう』

「自分のしたいことをする」ということに、罪悪感を感じる方もいるかもしれません。
子供の頃、「わがままをいってはいけません」「がまんしなさい」と厳しくしつけられたために、欲求を抑えてしまう癖がついているのでしょう。

もちろん、他人の迷惑も顧みずに傍若無人に振舞ったり、他人から何かを奪ったりすることは、悪いことに決まっています。
しかし、正常な感覚をもっていれば、他人を困らせたり、他人を悲しませたりしてまで自分だけが得をすることは、本当に喜べることではありませんので、おのずから、「したいこと」からは除外されるはずです。

自分の心に恥ずることなく、胸を張って語れること、見栄や私欲ではなく、心からの充実を感じられることであれば、「したいこと」は、躊躇することなく行っていいのです。行うべきです。

人は、自分の喜びのために生きていいのです。
そのエネルギーが、まわりの人にも幸せを分け与えます。

「幸福論」を著したアランは、「人は、幸福になる義務がある」といっています。権利などという甘いものではなく、幸福は義務だといっているのです。
幸福も不幸も、少なからず周囲の他人に影響を及ぼすからです。
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No.017『自分なりの価値観を定めよう』

読者の方からいただくメールでもっとも多いのは、「どうすれば自分に自信がもてるのか」という内容のものです。

ある男性は、「私のような貧乏人は、女性に相手にされるわけがない」と言います。
私は、そういうお悩みに対して、「あなたが、貧乏であることを恥ずかしいことだと思っているのですから、仕方がありません」と答えるほかありません。

いくら私が「経済力と人間の価値とは関係ありません」と言っても、それはあくまで私の価値観であるにすぎないのです。
私は自分の価値観が正しいと信じていますが、それが万人に共通する絶対的真理であるとは思っていません。
世の中には、お金がすべてだと考えている人もいるでしょう。
その人がそれで幸せなら、他人の幸せを否定する権利は私にはありません。ただ、私はそうなりたいとは思わない、というだけのことです。

人それぞれが、自分なりの価値観に従って生きています。
暴力で他人を服従させることはできても、意思までも変えることはできません。
価値観は、その人の自由な意思によって導き出されたものなのです。
「お金のある者の勝ちだ」と考えるのが自由なら、「お金がないから自信がもてない」というのもまた、その人が自由に考えたことなのです。
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No.018『毎日の目標を決めよう』

現代は、夢をもてない時代だと言われます。
学業にも仕事にも恋愛にも無気力、「どうせ〜」が口癖の若者が増えてきました。

人類は、長い歴史の中で、多くの血を流して「自由」を求めて戦ってきました。
その自由を手に入れることができた現代、法律上は、身分階級もなく、誰でも平等です。何をして生きようが、まったく個人の自由なのです。
しかし、「自由」という名の広大な海に放り出された人々が、どちらの方向に、何を求めて進んでいけばよいのか判らず、ふぬけのような状態になっているのは、まったく皮肉なことです。

自由というものは、権利であると同時に責任も伴うものです。
その結果に対する責任は、自分で負わなくてはなりません。
他人から強制された方が、責任を転嫁できるだけ楽だと言えるでしょう。

自分なりの目標を決め、努力しても、それが叶えられなかった時、それは誰の責任でもなく、自分に能力がなかったから。それを認めるのが怖くて、最初からあきらめてしまっている人が多いのでしょう。
そういう人は、イエスかノーか、0か1かという、デジタル式な考え方しかできず、その中間もあるということに考えが及んでいないのです。
人生は、成功か失敗か、ふたつにひとつではありません。その間に無数の点が存在するのです。
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No.019『自己愛をもとう』

人を愛するためには、まず自分を愛することが絶対条件です。
「自分を愛する」とは、他人を顧みず、わがまま勝手、利己的になるということではありません。
不安や虚栄心から生まれるのは、まったく逆の、ゆがんだ形の自己愛です。
真の自己愛とは、「はっきりと目覚め、自分の足でしっかりと地面を踏みしめながら歩いているという実感をもつこと」です。

仕事がつまらない、恋人が冷たい……。自分の人生への不満を、他人のせいにしてはいませんか。
悪いことを他人のせいにすれば、一時的に楽なように思えますが、結局は自分自身を苦しめることになります。
目覚めなくてはなりません。

現代では、人生を自由に選択できます。
どんなに消極的な選択であっても、それは自分の意思で選んだ結果なのです。
「いやいやながら、人の言いなりになった」のだとしても、「自分の主張を通して面倒なことになるより、人の言いなりになる方が楽だ」と、最終的に決断を下したのは、自分自身です。
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