No.090『現在の自分を認めることから始める』
どうすれば愛される人間になるのか。愛を得られず悩んでいる人なら、誰もが抱いている疑問でしょう。
なぜ愛されたいのかといえば、当然、幸福な人生を送りたいからです。人間のあらゆる欲求の最終的な目標は、「幸福になる」ということです。
行き詰まったときは、「愛情を得る」ことばかりにとらわれるのをやめて、「幸福とは何か」を考え直してみるのも、ひとつの手段です。
他人から愛されるということは、もちろん幸福の大きな要因ですが、「愛される人」というのは、「愛されなくても幸せを感じられる人」だからこそ、愛してもらえるのです。
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「愛されなければ幸せを感じられない人」は、つねに他人に愛を要求し、確認し、それを失う不安に怯えています。結局、いくら愛されても心は満たされません。そういう態度が、他人からうっとうしがられるのです。
人生を変えようと思えば、まずしなければならないことは、現在の自分を否定することではなく、「今のままでもよいのだ」と受け入れることです。
自分をありのままに認めることなくして、成長はありません。
何百坪もの豪邸に住み、外車を何台も所有し、高級料理しか口にしない人は、はたして幸せと言えるでしょうか。
「そこまでしなければ満足できない、精神を病んだ人」と言い換えることもできるのではないでしょうか。
「そこまでしなければ満足できない」というのは正しい表現ではなく、そういう人は、どれだけ物質的に満たされても、永久に満足できないのでしょう。満足できないからこそ、果てしなく物質的な豊かさを求めてしまうのです。
「お金がないから、自分は不幸なのだ」と思っている人は、どれだけ多くのお金を手に入れても、けっして幸せにはなれません。
もちろん、お金持ちで幸福な人もいますが、そういう人は、お金があるから幸福なのではなく、「お金がなくても幸せを感じられる人」だから、幸福でいられるのです。
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「愛されなければ幸せを感じられない人」は、いくら愛されても、けっして幸せにはなれません。「もっと、もっと」という要求が増すとともに、愛情飢餓感もふくらんでいくのです。
まず、「愛されなくても幸せを感じられる人間」になることを考えなくてはなりません。
けっして、愛を否定するわけではありません。
矛盾する言い方のようですが、愛に満たされて生きることは、幸福の絶対条件です。大切なものだからこそ、当然のように要求するのをやめて、与えられたときには、素直に感謝する心構えをもたなくてはならない、ということです。
自分に与えられた幸せを数え上げてみてください。
自分にとっては当たり前のものでも、それを与えられなかった人から見れば、あなたはうらやましいくらいに幸せなのです。
朝、布団の中で目覚め、自分の足で洗面所に行って顔を洗い、朝食をとり、会社や学校にでかける。それだけのことでも、たくさんの幸福を発見できるはずです。
「自分には何ひとつ幸福なことなどない」と思っている人は、そのごう慢さゆえに罰を受けているのです。
すべてを与えられた人はいませんし、まったく与えられなかった人もいません。人それぞれ、幸福の種類が違うというだけの話です。
不幸を嘆いている人は、与えられたものに感謝せず、ないものばかりを数えているのです。
「隣の芝生は青い」という見方を捨てなければ、どれだけ幸福を得ても、満足できることはありません。
(おわり)