No.094『本当に前向きな生き方』
困難に負けるな。くじけるな。自分に打ち克とう。
世の中には、「前向きな」言葉があふれています。勤勉、努力を美徳とする日本人は、「苦難を乗り越える」ことが人間の最大の価値であるかのように思い込んでいます。
学校でも、「将来の幸せのために、今、我慢しろ」ということがまことしやかに謳われています。子供たちは、「充実した人生を送るためには、絶え間ない努力が必要なのだ」と思い込まされ、いつも何かに追われているような不安と焦りに悩まされています。
もちろん、目標に向かって努力することを否定するつもりは毛頭ありません。しかし、今の充実を犠牲にしてまで得るべきものなど何もありません。
真の幸福に向かって努力しているなら、努力そのものに充実を感じられるはずです。今が楽しくなければ、今が充実していなければ、どれだけ努力し、我慢しても、喜びは得られません。
将来の幸福を願うなら、何よりまずすべきことは、「今、与えられた幸せに感謝する」ということです。
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苦難に耐えることが「つらい」としか感じられないなら、その目標自体が間違っているのです。
今の自分を「幸福に向かう途上の仮の姿」だと思っていては、永久に本当の自分にはたどり着けません。
人生の時間は、ただ流れ去るものではなく、積み重なっていくものです。現在という土台がしっかりしていなければ、それ以上の幸福を築くことはできません。
一般的に言って、「困難を克服する」ことは、すばらしいことです。しかし、何ごとにおいても、そのことばかりに「とらわれる」のはよくありません。
苦難を乗り越えた人は「優れた人」で、それができなかった人は「ダメな人」という考え方は間違っています。
つねに何かを「ほしい、ほしい」と求めている人のことを、仏教では「餓鬼」と言います。
「飢えている」ということは、「所有物が少ない」こととイコールではありません。有り余るほどの富に恵まれているにもかかわらず、いっそう欲をつのらせてしまう人は、「多財餓鬼」といいます。
どれだけ多くのものを手に入れても、それに満足できなければ、やはり餓鬼なのです。
向上心をもつことはよいことですが、鼻先にニンジンをぶらさげられて走り続ける馬のように、つねに欲望に振り回されていては、疲労感、無力感にさいなまれるだけです。
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本当に前向きな考え方とは、「くじけるな、努力しろ、困難を克服しろ」ということではありません。それは、裏を返せば、「克服できない人はダメな人」という排他的な主張です。
落ち込んでいる人を励ますときも、「負けるな、がんばれ」とむち打つのは、(相手の性格にもよりますが)あまり褒められたものではありません。
それは、「その困難に打ち克てなければ、お前はダメ人間だ」と脅迫しているのと同じことです。「なぜそれくらいのことができないんだ」と見くだしているともとられかねません。
「悲しいこと、つらいことがあってもいいじゃないか。傷ついてもいいじゃないか」と、ありのままの自分を認めることが、本当の意味での「前向きで明るい生き方」です。
苦しみや悲しみを排除することが幸福ではありません。そう思っていては、「それができない自分」にますます嫌悪感を抱いてしまいます。
つらいことはつらい、苦しいことは苦しい、と受け入れる。それでも、人生は生きる価値がある。
そう思えてはじめて、自分に自信をもつことができ、新しい一歩を踏み出せるのです。
(おわり)