No.098『悲しみから喜びが生まれる』
生きていれば、うれしいことも悲しいこともあります。当然ながら、誰でも、少しでも悲しみを減らし、喜びの多い人生を送りたいと思っています。
しかし、喜びも悲しみも、相対的な問題である、ということを忘れてはいけません。座標軸をどこにとるかによって決まるものなのです。
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ほとんどの人は、体の自由を失うことがなければ、自由に歩き回れることの喜びに気づくことはないでしょう。
失明してはじめて、目が見えることの喜びをつくづく実感するのでしょう。
人は、つらいこと、悲しいことには敏感ですが、見えない幸せにはなかなか気づきません。皮肉なことに、それを失ってはじめて執着しはじめるのです。
幸せの多くは、ふだん当たり前だと感じていることの中に存在します。
世は不況だ、不況だと誰もが嘆いていますが、これも比較の問題にすぎません。
バブル経済のころと較べれば、たしかに景気は悪いですが、現代人は、100年前の人から見れば、夢のように便利で豊かな生活を手に入れています。ところが、それを当たり前と考えているので、ありがたみを感じられないだけなのです。
つらいこと、悲しいことを経験して落ち込んだときには、まず、悲しみに執着することをやめ、視野を広げることが重要です。
座標軸をどこにとろうとも、悲しみがなくなるわけではありません。悲しいこととは、自分なりの幸福の基準との比較にすぎないからです。
それを悲しいと感じるのは、「自分の幸福の基準が高いからだ」とも考えられます。
ひとつ悪いことがあったなら、よいことをみっつ見つけましょう。探せば、いくらでも見つかるはずです。
そして、自分の有り余る幸運に感謝しましょう。必ず心が軽くなります。
つらく悲しい経験をしたときには、今まで気づかなかった幸福に気づくチャンスです。
もし神様がいるとしたら、人が幸福に麻痺してありがたみを感じられなくなったとき、その大切さに気づかせるために、ときどき人に悲しみを与えるのでしょう。
(おわり)