No.099『素直な性格とは』
愛される人の条件のひとつに、「素直な性格」が挙げられます。
しかし、この「素直」ということを、自分を殺して盲目的に他人に従うことと勘違いしてはいけません。
素直な人とは、強い精神力をもち、自分の考えに自信をもっている人のことです。他人に従順であるよりも、まず、自分に素直でなければなりません。
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主体性のない素直さほど危険なものはありません。
夫に暴力をふるわれながらも、「お前は妻として失格だ」「俺を怒らせるお前が悪い」と言われれば、「そうか、私のほうが悪いんだ」と自分を責めてしまう女性。彼女は、けっして「素直」な性格ではありません。
自分を見くだすような態度をとる人にまで、寛容な心をもって接する必要はないのです。許せない人のことは許せないとはっきり意識し、そんな人との関係はすっぱりと切り捨てることのほうが、よっぽど素直です。
もちろん、どんな悪い人に対しても、無償の愛情と慈悲を与えることができるなら、それがもっとも理想的ではあります。しかし、神でも仏でもない私たちには、そんな芸当は困難なことです。
心の底では他人を憎んでいながら、「自分は、人を憎むような心の貧しい人間ではない」と思い込もうとして、感情を抑圧し、自分を偽りながら生きていくくらいなら、「あんな奴とは付き合いたくない」と認めることのほうが、はるかに「素直な生き方」であると言えます。
「言いたいことがはっきり言えない自分」の情けなさを認めるのが怖いから、あたかも自らすすんで他人に従っているように思い込もうとしている人は、素直な性格ではなく、むしろ意地っ張りだといえます。
しかし、他人にいい顔をすることが素直だと思い込んでいるので、「素直な性格のおかげで、自分だけが損をしている」という被害者意識だけがふくらんでいき、いずれは怒りとなって爆発します。
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もちろん、はっきりと自己主張ができない控えめな性格の人もいます。それが悪いわけではありません。言いたいことを何でも口にする人は、ただのわがままです。
しかし、厳密にいえば、自己主張できない人は、「できない」のではなく、「しない」だけなのです。
「相手との関係が気まずくなるよりも、我慢したほうがましだ」と、自ら判断したのです。自分で決めたことなのですから、不満を抱いてイライラしても仕方ありません。
言いたいことは、はっきり言う。言えないなら、気にもしない。どちらかに決めなくてはなりません。
素直さが自分を苦しめるということはありません。
自分に正直に行動した結果であるなら、嫌な目にあっても、それを損だとは考えないはずです。「自分に嘘をつかなかった」という精神的な満足のほうが大きいからです。
自分を抑圧して他人の言いなりになっている人が、「損をした」と思うのです。
素直さとは、意に反して他人の犠牲になることを甘んじて受け入れることではありません。自分の価値を認め、自分を大切にできるということが、素直であるということです。
自分を大切にすることができて、はじめて他人も尊重できるのです。抑圧からは何も生まれません。
自分の心に素直に生きていたなら、けっして「損をした」と後悔することはありません。
(おわり)