No.133『自分の意志で参加する』
恋愛において同じような失敗を繰り返す人のパターンとして、特に女性に多いのですが、恋愛の成否をすべて相手にゆだねてしまう、ということがあります。
人を愛することそのものの喜びを知ろうとせず、自分が愛されなければ恋愛をする価値はない、と思い込んでいるのです。
彼から好きだと言われたから付き合った。はじめのうちは優しくしてくれたが、しだいにすげない態度を取られるようになった。物足りなくなり、愛情を要求し、愛情を押し付け、かえってうとまれる結果となった……。
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そういう人は、彼は私を好きだと言ってくれた、私を幸せにすると言ってくれた、そしてやがて冷たくなった、などと相手の言動ばかりを問題にする傾向があります。
そこには、本人の能動的な意志はありません。すべて受け身なのです。
「好き」という感情は、結局、「相手が自分に優しくしてくれるときだけ好き」という程度にすぎないのです。
そして、恋愛が破綻したときは、「私を好きだと言ったくせに」「はじめはあんなに優しかったのに」などと、相手の不誠実さをなじってしまいます。
他人がしてくれたこと、言ってくれたことに対しては、感謝するだけで充分なのです。「あなたはたしかにこう言ったのだから、きちんと約束を守りなさい」などと相手を束縛してしまうのはいきすぎです。
甘い言葉にだまされて傷つきたくない、という思いから、相手を束縛してしまうのかもしれません。しかし、相手が自分を愛してくれるかどうかでその恋愛の価値のすべてが決まってしまうと考えるのは、それこそ相手への奴隷的な従属を意味するのです。
相手を束縛しようとすることは、同時に自分の心が相手の一挙一動に束縛されてしまうということなのです。
相手の都合を無視した勝手な押し付けや思い込みは禁物ですが、自分の意志や責任を放棄してしまうのもまたごう慢です。
恋愛の成否を相手にゆだねるのであれば、どういう結果になろうとも、不満を言ってはいけません。選択する権利は相手にあるのです。
「自分の意志で参加している」という気概がなければ、どんな恋愛をしようとも、幸せを感じられることはありません。
あなたの恋人は、あなたの機嫌をとるためにこの世に存在するのではありません。まず、相手のひとりの人間としての人格を尊重することから、愛情は始まります。
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恋人に振られてショックを受けるのは、心の準備ができていないときです。恋愛に臆病になっている人は、「振られたらどうしよう」ということに怯えすぎて、「自分が振られるなどということはあってはならない」と考え、そこで思考が停止してしまうのです。
誰でも振られることはありえるのですから、「実際に振られたとき、どう対処するか」をあらかじめ考えておかなくてはなりません。
もし、振られたとき、相手を批判する気持ちしか生まれないと思うのであれば、自分は相手を愛しているのではなく、愛情を押し付けているにすぎないということです。まず、自分の愛情を見つめ直さなくてはなりません。
恋愛を始める前に、「相手が自分に何も与えてくれなくても、それでもともとなのだ」ということを心にとめておきましょう。
一度与えてくれたものを与え続けてくれないからといって、なぜ相手を批判する権利があるでしょう。その人と出会わなければ、何も得られなかったのですから。
嫌なことをされたのであれば、はっきりと文句を言わなければなりませんが、してほしいことをしてくれないからといって、相手を責めることはできないのです。
(おわり)