No.136『自分の選択を自覚する』
人間は、自分のやりたいことをやっているときは、ストレスを感じません。どれだけ多くの苦難が待ちかまえていようとも、自分の足で歩いているならば、逆風は「やりがい」に変わるものです。
ストレスは、「いやいややらされていること」に対して感じます。
しかし、いやいややらされているかどうかは、自分の受け止め方によって変わるものです。
自分が「いやいややらされている」と考えていることのうち、本当に他人から強要されているものがいったいどれだけあるか、数えてみてください。
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仕事が残業続きで忙しく、家族と会話を交わす時間もほとんどない。このままでは過労死してしまいそうだが、住宅ローンも残っているし、子供の教育にもお金がかかるし、今の会社を辞めれば生活ができなくなる……。
本当にそうでしょうか。
住宅を購入したのは、自分がそこそこ見ばえのいい生活をしたいからです。別に安アパートでも生活しようと思えばできるのです。
子供の教育にお金がかかるのは、「いい塾に通わせて、いい大学に行かせたい」という見栄があるからです。
義務教育にはそれほど高額なお金はかかりませんし、子供が中学を卒業した後は、本気で勉強する気があるのなら、奨学金を受けさせるという選択もあります。そのほうが、かえって子供は勉学の意義を知るようになるかもしれません。
姑との折り合いが悪く、いつも不愉快な思いをさせられている。姑さえいなければ、のびのびと生活できるのに……。
本当にそう思うなら、家族や親戚の非難を覚悟で姑を追い出してしまうか、自分が家を出てひとりで生活すればよいでしょう。
しかし、やはり自分が家族の庇護のもとで暮らし、親戚たちからも嫌われずに仲よくやったほうが得だと思うから、一緒に暮らしているのです。
すべて、自分が選んだ道です。何も他人から強要などされていないのです。
ほかの選択をしようと思えばできるのに、見栄や臆病さから、実行できないだけなのです。
急いで付け加えますが、だからと言って、どんな嫌なことも我慢し、いっさい文句を言ってはいけないというのではありません。人間はそれほど完璧に強くはなれないものです。
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正当な主張であれば堂々と行ってもよいし、たまには愚痴をこぼしてもよいのです。
ただ、「好きでやっているわけではないのに」という言い訳はしないほうがよいでしょう。そういう不満がますますストレスを増大させ、いつか爆発してしまいます。
人生はままならないものですが、「嫌ならやめればいいのに、自分で選んでこうしているのだ」ということが判っているのとそうでないのとでは、大きく違います。
人間は弱いものだからこそ、「どうしても我慢ができなくなれば、すべてを投げ出して、いちからやり直せばいい」という逃げ道を準備しておくことも重要です。
本当に自分を大切にしている人は、行き詰まって破滅するくらいなら、逃げるという選択をすることもできます。自分の弱さを認められない人こそが、自分で自分を追いつめてしまうのです。
どうしてもやりたくない仕事はやめればよいのだし、憎くて憎くて仕方がない人との付き合いは絶ってしまえばよいのです。
私たちは、何かを得ることが豊かになることだと思い込んでいますが、得れば得るほど、それを守るために汲々として、不自由な生活を強いられることにもなります。
「手放しても困らないもの」と「本当に大切なもの」を見極めてください。
不満を他人のせいにせず、どういう道を歩むにしても、自分で選択しているのだという明確な意志をもつことこそが、ストレスや悩みを減少させる一番よい薬です。
(おわり)