No.142『受容で生まれ変わる』
不登校になったり、家に引きこもったりする若者は、けっして不真面目なわけではなく、むしろ完璧主義なほどに生真面目な性格で、知能も高い場合が多いものです。
幼いころから「明るくて勉強もできるいい子」であることを親に強要され、その理想に向かって精一杯努力し、演じ続けてきたのですが、とうとう力尽きて、張りつめていた心の糸がぷっつりと切れてしまったのです。
当人にとって、学校にも行かず、仕事もせずにだらだらと過ごす自分は、典型的な「悪い子」にほかなりません。「いい子」をやめれば楽になれるという願望と、それを許せないという自己嫌悪との葛藤で苦しんでいます。
心配する親は、我が子を何とか立ち直らせようと、「がんばりなさい」と励まします。しかし、それは子供にとっては、「いい子をおりることなど許しませんよ」という脅迫に聞こえます。
がんばりすぎて身も心も疲れ果ててしまったのに、なおも「がんばれ」と急き立てられることは、あまりにも厳しく、情け容赦のない仕打ちです。
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子供を「いい子」という鋳型にはめ込もうとする親もまた、「いい親」でなければならないという責任感にとらわれているのです。
「熱意をもって接すれば、いつか判ってくれるだろう」と、積極的に子供に干渉することが愛情だと信じこんでいるのですが、「悪い子をいい子に引き戻す」という押しつけを改めないかぎり、子供はよけいに心を閉ざすばかりで、まったく逆効果に終わってしまいます。
「いい子」を演じてきた子供が、実は自分は悪い子なのだという罪悪感に苦しんでいるのと同じように、「いい親」もまた、立派に子育てをしてきたつもりだったのに、もしかすると自分の愛情の示し方が間違っていたのかもしれないということを認めるのは、とてもつらいことでしょう。
親も子も、悪意があるわけではないだけに、事態は複雑にこじれてしまうのです。
親は、「いいことか、悪いことか」という理屈を一時捨て、子供のすべてを受容することが解決への一番の近道です。
「学校に行きたくなければ行かなくてもいい、仕事をしたくなければしなくてもいい」と、とりあえず受け入れてみるのです。
かといって、本当に何もせず家に引きこもり、社会と断絶して過ごすことがいいことだとはいえません。怠惰を増長させることになるのではないかという疑問を感じる方もいるでしょう。
しかし、心配はいりません。そういう子供は、もともと責任感の強いがんばり屋さんです。もっともっと「いい加減さ」を覚えてもいいくらいなのです。
誰だって、自分の人生は大切です。わざわざ好きこのんで自分の人生を台なしにする人などいません。
そうせざるをえないほどに追いつめられた子供の気持ちになって考え、苦しみに共感し、温かく見守ってやってください。
「ラスト・ストロー(最後のわら)」という言葉があります。
限界まで重い荷物を背負わされたラクダが、最後にわらを1本乗せられただけで潰れてしまった、というたとえ話です。
不登校や引きこもりの直接の原因は、「友人や先生に嫌なことを言われた」「仕事で失敗をした」など、ささいなことである場合が多いものです。
他人は、そのラスト・ストローだけを見て、「なんだ、それしきのことで」と非難したり、励ましたりしてしまいがちですが、それまで耐えに耐えてきた重みがあるのです。
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子供もまた、自分自身を受容しなければなりません。
「相手が変わらなければ、自分も変われない」などと甘えたことを言えるのは、親に対してだけです。
友人や恋人、同僚など、他人にそんな身勝手な要求をすることはできません。
「いい子」から脱するためには、「悪い子」という通過点を経験することが不可欠です。
けっして「悪い子」を奨励するわけではありませんが、少なくとも自分の意志と欲求に目覚め、堂々と自己を主張している分だけ、「いい子」よりも積極的な生き方だといえます。
「悪い子」を経験することによって、はじめて「いい子」だった自分と比較し、冷静に見つめ直すことができます。
「いい子」を演じるのがつらいのと同じように、開き直って「悪い子」に徹するのもまた、苦しいものです。
では、どうすればよいのか。他人に屈するのでもなく、我を押し通すのでもなく、「自分の気持ちを大切にしながら、他人も尊重する」という第三の道が見えてきます。
どんな子供も、自分の気持ちを理解してもらい、受け入れてもらえば、やがて自分の足で幸福に向かって歩み始めます。
自分の心に正直に生きている人は、けっして自己主張の激しいわがままな性格にはならず、むしろますます謙虚に、他人を尊重することができるようになるものです。
親は、子供を信じるというのであれば、「親の気持ちを判ってくれる」ことを信じるのではなく、「いつか自分の意志に目覚めるときがくる」という子供自身の能力、生命力を信じるべきでしょう。
人に強要され、人の期待に合わせるだけの人生は、どれだけ努力しようとも、充実感はえられず、虚しさだけが残るものです。
「いい子でも悪い子でも、どちらでもいいじゃないか」と、こだわりを捨ててはじめて、活き活きとした前向きな人生を送ることができるのです。
(おわり)