No.145『まわりとうち解けるには』
若い人の多くは、他人から「暗い人間」だと思われることを極度に怖れます。
自分を明るく見せようとして、精一杯の作り笑いをしたり、不自然にはしゃぎまわったりする反面、心の中は冷めていて、他人にへつらっている自分に嫌気がさしてしまう、ということもよくあります。
友達同士の乗りのよい会話についていけないと悩んでいる人がいますが、乗りのよさとは、その場かぎりの雰囲気づくりにすぎず、腹を割って向き合っているということにはなりません。
豊かな人間関係を結べるかどうかということは、けっして乗りのよさなどでは測れないのです。
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明るい人というのは、口数が多い人や冗談のうまい人のことをいうのではありません。
他人から明るい人間だと思われるための必要十分条件は、相手を尊重することです。
誰でも、自分を認めてくれる人に対しては好意をもつはずです。
どれだけ活発で饒舌であっても、自分を尊重してくれない人のことを明るい人だとは思わないものです。
相手を認める気持ちもなく、ただ「自分が明るい人間だと見られたい」という欲求を押しつけ、必死でとりつくろっても、煙たがられるだけです。
映画のような気の利いた会話をしたり、うまい冗談を言って笑わせたりする必要はありません(できるなら、それに越したことはありませんが)。
相手の存在を認め、共感し、つねに気にかけてあげさえすれば、充分に「明るい人間」だと思われることでしょう。
新しい学校や職場に入ったとき、なかなか人の輪にとけ込めないという人がいます。
しかし、周囲とうち解けるのは、実はそれほど難しいことではありません。
あいさつなどの基本的な礼儀さえわきまえていれば、少なくとも孤立してしまうということはないでしょう。
人付き合いの苦手な人は、「自分はこの社会になじめるか、どうか」という結論を急ぎすぎる傾向があります。
他人が自分の敵か味方かということを、すぐにはっきりさせなければ気がすまないのです。
「後で嫌われて傷つくくらいなら、こちらから先に拒絶しておこう」という警戒心がはたらいてしまうのです。
他人と心を通わせるには、時間をかけることが必要です。
どんなに社交的でも、時間をかけずに他人とうち解けあうことなど不可能です。
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転職して新しい職場に移ったときは、まず、そこのルールに従わなければなりません。
まわりを認め、自分もまわりから認めてもらえれば、いろいろ主張もしやすくなるでしょう。
まだまわりにとけ込んでもいないのに、「これはおかしい」「こうすべきだ」「前の職場ではこうだった」などと、いきなり自分の権利だけを主張すれば、「生意気なやつ」と目をつけられることになります。
入社したばかりの新人が、制服が気に入らないからといって、ほかのデザインの制服に変えたいと言っても、誰も認めてくれないでしょう。
まずは決められたルールに従い、まわりとの信頼関係を築いてから、改善すべき点は主張すればよいのです。
誤解のないように言い添えますが、どう考えても理不尽で不当な扱いをうけたり、いじめや嫌がらせをうけたりしても、自分を押し殺して我慢すべきだというのではありません。
八方美人に徹して、すべての人と仲よくしましょうというのでもありません。
自分の最低限の尊厳は守るべきです。
しかし、人間はひとりでは生きられず、どこかの社会に依存しなければならないものです。
自尊心はたもちながらも、生きるためにその社会に依存させてもらっているという謙虚さももたなければならない、ということです。
どこの社会に属するかを決める権利は、自分にあります。「自分はこんなところにいるべき人間ではない」と本気で思うなら、抜け出せばよいのです。
依存させてもらっている以上、仲間に入れてもらうためには、まず自分からまわりの他人を認め、とけ込む努力をする必要があります。
他人にしっぽを振るということではなく、これは、よい人間関係を築き、豊かな心で毎日を送るための技術です。
まわりから拒絶されることを怖れてしまうのは、「自分が認めてもらえるか、どうか」ということを気にかけすぎるからです。
あえて言うなら、他人から疎んじられる人というのは、自分が認められることばかり求めている人のことです。
まず自分から他人を認め、結果を急がず、じっくり時間をかけて信頼関係を築く。これさえ守っていれば、どこの社会でも受け入れられるはずです。
(おわり)