No.154『成長するためには安全が必要』
人間には誰でも、成長したいという欲求があります。
成長するためには、多少のリスクを冒してでも、殻を破って新しいことに挑戦しなければなりません。
しかし、それによって、自分の安全があまりに大きく脅かされるのであれば、成長の欲求は抑えられます。人はどうしても、成長よりも安全のほうを求めてしまうものなのです。
戦後数十年間の高度経済成長期は、日本独特の制度である終身雇用と年功序列というふたつの柱によって支えられていたといいます。
新しい技術を取り入れても古い技術者が職を奪われることはない、また失敗しても会社を追い出されることはない、という安心感があるから、次々に新しいことに挑戦することができました。
成長するためには、まず身の安全が守られなければなりません。
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反抗期は、子供が一人前に成長するための重要な通過点です。
反抗期を経験することの大きな意義のひとつは、たとえ親に反抗しても自分は絶対に見捨てられないのだ、という安心感がえられることです。
親がその点を理解しておらず、反抗する子供に失望したり、力ずくで「素直な子供」に変えようとしたりすれば、子供は、自分の存在そのものに深い罪悪感を抱いてしまいます。
安全が保障されて、はじめて人は心置きなく成長することができます。
親が子供を変えようとしなくても、「お前は充分に愛される価値がある」と絶対的な安心感さえ与えてやれば、子供は自分の力で成長していくものです。
といっても、叱らずに甘やかしたり、何でも買い与えたりするということではありません。「甘やかす」という態度は、相手を大切に思う気持ちではなく、自分が嫌われたくないという身勝手な不安から生まれるものです。
親が心から子供に敬意を払い、誇りをもたせれば、子供は自ら誇りに恥じないような行動をとろうとするでしょう。
人が成長するためには、「自分はここにいてもよいのだ」という心の居場所が必要です。
自分はダメな人間だ、もっと強く生きたい、と悩んでいる人は、成長することよりも、まず心の安らぎをえることに目を向けたほうがよいでしょう。
成長することによってえられるメリットよりも、失敗したときのデメリットのほうがはるかに大きいのであれば、挑戦をためらってしまうのも無理はないのです。
また仕事で失敗して上司に叱られたらどうしよう、と悩んでいるとき。
もちろん、失敗しないように気をつけることはもちろんですが、それ以上に重要なことは、たとえ失敗して上司に叱られたとしても、自分の人間性を否定されたわけではない、と思うことです。
相手がひどい発言をしようとも、それは相手の人格の問題であって、どう受け取るかは自分の自由です。
他人が傷つくことを平気で言う人は、皆から軽蔑され、つまらない人生を送っていることでしょう。損をしているのは相手のほうであって、自分には関係のないことです。相手の不幸まで背負いこんで悩む必要はありません。
上司がどういう人間であろうと、自分は与えられた仕事を責任をもってこなせば、それでよいのです。
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恋人が浮気をしているのではないかと疑ってしまうとき。
ますます疑いを強めることによって安心をえることは絶対にできません。
平気で浮気をするような人は、ふだんの言動からも、「やましいことをしても、見つからなければいい。自分さえよければいい」という態度がにじみ出ているものです。
浮気は、不誠実な内面が表れた行動の一端にすぎません。浮気を禁じればそれですむという問題ではないのです。
恋人の浮気を疑ってしまう人もまた、相手の人間性と向き合おうとせず、「自分に優しくしてくれさえすればいい」といういい加減な気持ちで付き合っているのです。相手を理解しようともせず、信用できないと嘆いているのです。
浮気を怖れる前に、相手としっかり向き合い、その人間性を理解するよう努めなければなりません。理解した上で、そういう相手と付き合い続けるかどうかを決めるのは自分です。
友人にメールを送ったのに返事がこないとき。
自分は嫌われてしまったのだろうか、何か気に障ることでも言ってしまったのだろうか、と気に病むよりも、「メールの返事がこなくても不安にならない関係」を目指したほうがよいでしょう。
仮に、相手がわざとメールを無視しているのだとして、それで終わってしまうような関係ならば、もともと本当の友人ではなかったということです。
ふだんからよく話し合い、認め合っている間柄ならば、メールの返事がこないからといって不安になることもありません。
「見捨てられる不安」は、また、「自分をないがしろにする人への怒り」でもあります。臆病とごう慢はつねに背中合わせです。
他人から尊重されないことよりも恥ずかしいのは、自分が他人を尊重できないことです。自分の誇りにかけて、自分が他人を尊重しさえすればよい、という開き直りが大切です。
安心をえられないまま、無理に自分を変えようとしても、それができない自分への嫌悪感が深まってしまうだけです。
成長することばかりにとらわれるよりも、安全を脅かされる不安を取り除き、足場を固めることが先決です。
人間には本来、成長したいという抑えがたい欲求がありますので、安心さええられれば、悩むまでもなく成長へと向かうはずなのです。
失敗することの不安を打ち消す方法は、「絶対に失敗しない」という自信をつけることではなく、「失敗することもある」と現実を受け入れる余裕をもつことです。
けっして、愛する人に嫌われてもかまわない、家族を失っても悲しくない、などと感覚を麻痺させてごまかすということではありません。
たとえ何かを失っても、自分がそれを「大切に思う気持ち」だけは消えません。失ってもなお大切に思えてこそ、本当に大切にしているといえるのです。
大切なものを「失ったとき、どうするか」と考えることが、そのものと正面から向き合うことになります。
最終的に頼りになるのは、そういう自分の心もちだけなのです。
(おわり)