このサイトが本になりました
リラックスブック(だいわ文庫)
たかたまさひろ(著)
定価 770円(税込)

人づきあいが苦手、小さなことですぐムカッとしてしまう、自信がない、そんなあなたの心を軽くする本
こころのお掃除、始めましょ
メッセージ No.170-179

No.170『自分とどう向き合うか』

勉強のできる子。まじめに仕事をこなすがんばり屋さん。涙を見せない強い人。
他人から評価されたいために、必死でとりつくろってきたのに、自ら作り上げた自分のイメージが窮屈になって逃げ出したくなる、ということがあります。

見くだされれば悔しいし、過大評価されれば居心地が悪い。
他人の評価ばかりを気にしているかぎり、たとえ努力してよい評価をえられたとしても、今度は「誰も本当の私を理解してくれない」という不満が募るようになってしまいます。
他人からの評価は、もちろん、えられたほうがよいに決まっていますが、それは目的ではなく、結果にすぎません。
つづきを読む

No.171『人間の弱さを憐れむ』

ある女性は、引っ込み思案な性格で、自分は一生恋愛などできないと悩んでいたのですが、そんな彼女でも好きだと言ってくれる男性が現れ、付き合うことになりました。
彼は笑顔が素敵で、紳士的で、とても優しい人でした。毎日が幸せでした。

ところが、彼女は大変ショッキングな事実を知ってしまいました。彼は遊び好きで、ほかに何人も付き合っている女性がいたのです。
いい人だと思っていたのに……。あの素敵な笑顔も、優しさも、すべては自分をあざむくための芝居だったのか。そう考えると悔しくて仕方がありません。
有頂天になっていた自分が恥ずかしい。もう男なんて信じられない。彼女は人間不信になり、怖くて男性と話をすることもできなくなってしまいました。
つづきを読む

No.172『感情に支配されず、感情を拒絶もせず』

自分を好きになれない人は、不快な感情に支配されてしまっています。
なぜ好きな人の前でもっと上手に話せないのだろう。
なぜ仕事や勉強にやる気がでないのだろう。
なぜあの人は、あんな嫌なものの言い方をするのだろう。
些細なことで頭がいっぱいになり、気にかけまいとすればするほど、そんな些細なことにこだわっている自分に嫌気がさし、ますます自己嫌悪が深まってしまうのです。
つづきを読む

No.173『健全な罪悪感を育てる』

自分に自信がもてず、なかなか他人に心を開けない人は、心の中に罪悪感を抱えています。
どうせ他人は私と一緒にいても楽しくないのだろう、私なんかが話しかけると他人は迷惑に思うに違いない……。
自分のことはいつも後回しにして、他人の気持ちを先回りして読み取ってしまうから、つい自分を抑えてしまうのです。

たしかに、人間にとって罪悪感というものは必要です。
悪いことをしても、他人を傷つけても、悪びれず平然としている人というのは、鈍感で、自己中心的で、まったく迷惑な存在です。
本当に自分が間違っていたと反省し、自分を改めたいと思うならば、罪悪感は、自分を成長させるエネルギーとなります。
自分に誇りをもち、胸を張って生きようと思うからこそ、そうではない自分に恥ずかしさを感じるのです。

健全な罪悪感は、自分を愛する心、成長したいという欲求から生まれます。
せっかく自分に与えられた本当の価値をまだ充分に活かしていないことを自分自身に申し訳なく思う気持ちです。
罪悪感は、自分の中ももっとも大切な部分、成長したがっている部分を気づかせてくれるものなのです。

罪悪感によって意欲をなくしたり、自分が嫌いになったりしてしまうのであれば、それは本当の罪悪感ではないのです。
「どうせ私は愛される価値はない」「どうせ他人は私を嫌っている」というのは、ゆがんだ偽りの罪悪感です。
つづきを読む

No.174『習慣を変えてみよう』

秋から冬にかけては特に、朝なかなか起きることができず、一日中気分も晴れないということがあります。
そういうとき、朝の1〜2時間、人工的な光を浴びることによって、うつ状態が改善されることがあります。
生体のリズムの狂いは、身体の問題ですから、精神力でどうにかなるというものではありません。

やる気が出ない、自信がもてないと悩んでいる人は多くいますが、そういう人たちのもっとも大きな問題点は、すべてを「心の問題」で解決しようと努力してしまうことです。

ジョギングをして息が上がったときは誰でも、深呼吸で息を整えようとします。
人前で極度に緊張してしまうとき、怒りで頭に血がのぼってしまったときなども、大きく深呼吸をするだけで、ずいぶん冷静になれるものです。
無理に「心を落ち着けよう」などと思わず、ただ深呼吸をすることに集中してください。
呼吸が整えば、自然に心も落ち着きます。

花粉症は、体の免疫機能が過剰防衛してしまうことによって起こります。
花粉そのものに毒性はないのに、体が敏感に反応し、異物を必要以上に排出しようとして、かえって体に害を及ぼしてしまうのです。
心の疲れも同じように、他人に責められたらどうしよう、嫌われたらどうしよう、と傷つくことを過剰に怖れる心理によるものです。
ほうっておけば何の問題もないのに、自ら問題をこじらせてしまっているのです。
つづきを読む

No.175『問題を個別に考える』

「最近の若者は」「主婦は」「フリーターは」などと、特定の層を十把ひとからげにして論じられると、言われた側は不愉快に感じるものです。
「最近の若者」にもいろいろな人がいるのだから、個々人を見て個別に判断してほしい、と思うことでしょう。

しかし、私たちは、自分に言い訳をするときは、知らず知らずのうちに、この「一般化」でごまかしてしまっているものです。
どうせ貧乏な男は女性にもてないだろう。
どうせ女は容姿が美しいほうが得をするのだ。
どうせ自分には学歴がないから。どうせ自分は親に愛されずに育ったから……。
つづきを読む

No.176『うまく話し合うために』

口べたな人は、いつも他人に言い負かされ、自分だけが我慢させられているように感じてしまいます。
「もっとうまく話せるようになれば、他人にやり込められずにすむのに」と思っている人もいるかもしれません。

しかし、人間関係は、「弁が立つ者が勝ち」というものではありません。
口べたな人は、「自分の言ったことを否定されたくない」という思いが強すぎるのではないでしょうか。

はじめから「相手に自分の意見を理解させ、納得させること」を目的としてしまっては、どうしても押しつけがましくなり、関係はぎすぎすしたものになってしまいます。
「相手の反応がどうであろうとも、とにかく自分の思っていることを伝える」と気楽に構えるほうが、うまく話せるものです。

人と人が話し合う目的は、完全に価値観を一致させることではなく、互いがどう思っているのかを「知り合う」ことです。
自分の幸せをどう実現するか、人によって「やり方」は違います。「やり方」は違っても、「思い」は理解し合うことができます。

もちろん、他人の理解はえられたほうがよいに決まっていますが、他人の協力が必要なのであれば、「どちらが勝つか」という対決姿勢でのぞむのではなく、互いを活かせる道を探らなければなりません。

どうしても判り合えない部分もありますが、判り合えないなら判り合えないままにやっていくしかないのです。
「他人に理解してもらえなければ満足できないもの」だけに頼っていては、思い通りに生きることはできません。
自分は自分のやり方で幸せを求め、他人は他人のやり方で求め、互いにそれを認め合えればそれでよいのです。
(おわり)

No.177『したいこと、できることから始める』

人は誰も、「こうありたい」という理想を抱いています。
そして、理想を目指して前向きに進んでいく人もいれば、理想にかなわない自分を嫌悪してしまう人もいます。
理想が自分を向上させる力となるか、押しつぶす重圧となるかの違いは、それが自分の願望であるか、他人の願望であるかによります。
つづきを読む

No.178『他人に分かってもらうこと』

私たちは、他人に自分を分かってほしいという欲求をもっています。
誰でも、他人から認めてもらえればうれしいし、否定されれば悔しく、悲しいのは当然です。
しかし、はじめから「分かってもらうこと」を求めてしまっては、自分を見失い、他人に振り回されるだけの人生を送ることになります。
対人関係の苦手な人は、「分かってもらうこと」を当然のように要求するから、失敗を怖れてしまうのではないでしょうか。
つづきを読む

No.179『原因と結果を逆に考えてみる』

会社を経営して羽振りのよかった人が、その会社が倒産してしまった途端、立場が逆転し、窮地に立たされることになりました。
これまでもみ手ですり寄ってきていた取引業者たちも、手のひらを返して厳しく債権を請求してくるようになりました。もう誰も社長の見方になってくれる人はいません。
そして、社長は嘆くのです。
「皆、結局、金のことしか考えていないのか。ああ、人間はこんなに簡単に変わってしまうものなのか。悲しいことだ」
つづきを読む

このサイトの作者の本 累計36万部

リラックスブック

たかたまさひろ(著)

こころのおそうじ

たかたまさひろ(著)

こころが休まる本

たかたまさひろ(著)
ページの先頭へ