No.170『自分とどう向き合うか』
勉強のできる子。まじめに仕事をこなすがんばり屋さん。涙を見せない強い人。
他人から評価されたいために、必死でとりつくろってきたのに、自ら作り上げた自分のイメージが窮屈になって逃げ出したくなる、ということがあります。
見くだされれば悔しいし、過大評価されれば居心地が悪い。
他人の評価ばかりを気にしているかぎり、たとえ努力してよい評価をえられたとしても、今度は「誰も本当の私を理解してくれない」という不満が募るようになってしまいます。
他人からの評価は、もちろん、えられたほうがよいに決まっていますが、それは目的ではなく、結果にすぎません。
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幸せな人とは、高慢に気取らず、卑屈に萎縮もせず、ありのままの自分でいることができ、それが適正に評価されている人のことです。
しかしそうはいっても、自分に自信がもてない人は、「ありのままの自分」でいること自体が不安なのですから、いったい何をどうすればよいのか判らないかもしれません。
自分は何も悪気はないのに、どうも皆から好かれていないようだ。自分が変わらなければいけないと思うが、心のどこかで「自分は悪くないのに」という思いもある。好かれるために自分を変えるというのは、他人に屈服するようで悔しい。
いったい自分のどこがいけないというのか。
ものごとを生真面目に考え込む人は、とかく答えを求めがちです。しかし、答えを求めると息苦しくなります。
人生はマークシートの試験ではありません。幸せや生きがいは、明確な答えを見つけることではなく、問題を解く姿勢の中にあるのです。
自信をもつために重要なことは、自分の人生に責任をもつということです。自分の人生に責任をもっているならば、答えが正しいかどうかなど気にすることはありません。
どういう答えを選ぶかではなく、どういう考えに従い、どういう気持ちで答えを選ぶかということに意味があります。
自分の意志で、自分の責任で選んだ答えは、すべて正解なのです。
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「自分の人生に責任をもつ」とは、責めを負うということではありません。自分の人生は自分で決めるのだという意欲と権利意識を育てるということです。
「どうせ私が悪いんだ」と自分を責めてしまう人は、自分に責任をもっているのではなく、逆に逃げているのです。
先に自分を責めておけば、他人から傷つけられたときのつらさをごまかすことはできます。
しかし、そうすることによって、ますます自分が嫌いになってしまい、他人から批判される不安も大きくなる、という悪循環におちいることになります。
世界中の誰に傷つけられても、自分だけは自分を尊重しなければなりません。
自分のやり方が間違っていたのだとしても、それは単に「やり方」が間違っていただけであって、自分という人間そのものが悪いのではありません。
「誰が悪いのか」という犯人捜しはやめて、「自分はどうしたいのか、自分に何ができるのか」を考えるようにしましょう。
他人との付き合い方は、人それぞれに違います。
自分が選んだ答えが正しいかどうかは、誰も決めつけることはできません。人付き合いに絶対に正しいやり方などというものはないのですから。
他人から認められる人とは、「正しい答えを選んだ人」ではなく、「自分が選んだ答えに責任をもっている人」のことなのです。
(おわり)