マスメディアで重宝されるのは、個性のある人です。
芸能人にかぎらず、政治家でもスポーツ選手でも、いわゆる「キャラ立ち」している人は、たいしてニュースとしての価値はないようなちょっとした話題でも、大きく取り上げられます。
特異な個性のある人は注目されやすいので、「変わっていること」が人間としてもっとも重要であるかのように思われがちです。
しかし、強い個性で注目された人は、とかくあきられるのも早いものです。
タレントやお笑い芸人など、「個性のある人たち」が次々に現れては、使い捨てられていきます。
特に、目立つ言動や一発芸などで突如として話題となった人は、その刺激の強さゆえに食傷され、すぐに「時代遅れ」となる憂き目にあいます。
無理をしてつくり上げた自分のイメージに自分がしばられ、苦しんでしまう人もいます。
意外にも長く残っている人というのは、地味でも当たり前の仕事をきっちりこなしている人なのです。
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ある結婚詐欺師の男が逮捕されました。
彼は、十数人もの女性たちに甘い言葉をかけて言い寄り、多額のお金をだましとっていたのですが、彼が捕まった後の被害者たちの反応は、意外なものでした。
多くの被害者の女性たちが、「彼は優しい人だった。私への愛情は本物だったと信じている」と語り、彼の減刑を求める嘆願書を出した人もいるというのです。
第三者から見れば明らかにだまされているのに、それを認めようとしない女性たちの心の裏には、ひとつには、「だまされていたということを認めてしまえば、自分があまりにもみじめだ」ということがあるでしょう。
もうひとつは、「自分は人を疑うような心の貧しい人間ではない」と、自分を美化しようとする心の働きがあります。
いずれにしろ、女性たちの「彼を信じている」という気持ちは、彼に対する愛情や信頼ではなく、「自分の価値を損ないたくない」という自己愛にすぎないのです。
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ある住宅地に引っ越してきた家族がいました。
そこの奥さんが、早朝に家の前を掃いていたときのこと。
ふと思い立って、ついでに向かいの家の前も掃除してあげることにしました。別に感謝してほしいわけではなく、親切を押し売りするつもりもなく、「たいして手間は変わらないから」と、純粋な善意で行ったことです。
ところが、それを見ていた近所の人が、「言いにくいことだけど……」と前置きした上で、「そんなよけいなことはしないほうがいいですよ」と忠告してきたのです。
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会社員のAさんは、現在の仕事に大きな不満をもっています。
Aさんは、新入社員であるB君の指導係を任されているのですが、お坊ちゃま育ちのB君は、他人から命令されることに我慢がならないらしく、Aさんの言うことを聞こうとしません。
なまけ者で無責任なB君のせいで、仕事がまったくはかどらず、いつもAさんが上司から叱られるはめになるのです。
Aさんは、「自分が悪いわけではないのに、なぜ叱られなくてはならないのか」と憤っているのです。
たしかに、B君が無責任な人間であるということは、Aさんのせいではありません。
しかし、「自分の責任ではないのだから、知ったことか」と投げ出してしまってもよいものでしょうか。
Aさんには、B君を指導するという義務が与えられています。義務には、必ず権利が伴います。この「権利」という点に着目してみましょう。
自分の責任の大きさを認めるということは、自分の権限がおよぶ広さを確保することにもなります。自分の責任の範囲はなるべく大きくとっておいたほうが、より自由に、より能動的に生きられるのです。
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「友情は喜びを二倍にし、悲しみを半分にする」とは、ドイツの詩人・劇作家であるシラーの言葉です。
このことは、友人同士の付き合いにかぎらず、恋人や家族など、あらゆる人間関係にあてはまるのではないでしょうか。
うれしいことがあったときには、自分ひとりでよろこぶよりも、ともによろこんでくれる人がいたほうがうれしさも増しますし、悲しいことを他人も一緒に悲しんでくれれば、心はいくぶん安らぎます。
人が人を求めるのは、感情を共有したいという欲求があるからなのでしょう。
人付き合いの意義は、まさにこの点にあるといえます。
ただし、気をつけておかなければならないことは、「たとえ他人に判ってもらえなくても、よろこびが減るわけではないし、悲しみが増えるわけでもない」ということです。
他人も一緒によろこんでくれれば、自分のよろこびは増大しますが、それはあくまで「付け足し」にすぎません。
自分の感情を自分の心でしっかり実感できるということが、何よりも重要なのです。
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会社員のA子さんは、同じ課の女性の先輩との付き合いについて悩んでいます。
その先輩と一緒に昼食をとったり、退社後に行動をともにしたりすることが多いのですが、彼女の口から出ることと言えば、仕事や家族に対する文句ばかり。いつもその愚痴の聞き役に回っているA子さんは、いい加減うんざりしているのです。
しかし、A子さんは引っ込み思案で、会社でほかに親しくしている人はいません。完全に孤立してしまうのが怖くて、この先輩との付き合いを断れないのです。
さて、A子さんの悩みの根本的な原因は、愚痴ばかり言う先輩がいることでも、職場にほかに親しい人がいないことでもありません。
A子さん自身が、体面を気にして、その現実を受け入れようとしていないことが問題なのです。
A子さんは、その先輩が相手にしてくれなければ、職場でひとりぼっちになってしまうのではないかと怖れています。しかし、現実にはその先輩との付き合いをまったく楽しんでいないのですから、A子さんの心の中では、すでにひとりぼっちなのです。
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「他人が皆、自分の悪口を言っているような気がする」と、勝手に被害妄想を抱いてしまう人がいます。
そういう人は逆に、少しでも優しくしてくれる人がいると、「この人は自分に特別な好意があるに違いない」と早合点してしまうことが多いものです。後でそれが勘違いだと判ると、だまされたように感じて相手を逆恨みしたり、人間不信になったりしてしまいます。
つまり、自分と関わろうとする人は皆、「好き」か「嫌い」かの強い関心をもっていると思い込み、「好かれているか、嫌われているか」を異常なほどに気にしてしまうのです。
「自分は皆から嫌われている」と嘆いている人は、実際のところは、嫌われるほど特別な感情をもたれてもいないでしょう。
特別な感情をもたれていないといっても、別にバカにされているわけでも、存在を否定されているわけでもありません。ひとりの人間としては認めてくれているのです。
「好かれているのでなければ、嫌われている」と極端に考えてはいけません。そのどちらでもない場合がほとんどなのです。
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ある男子高校生は、新しい学年が始まることが憂鬱でたまりませんでした。
学年が上がってクラスが変わるたび、一人ひとりがクラス全員の前で自己紹介をしなければならないのです。
恥ずかしがり屋の彼は、大勢の前で話すのがとても苦手です。去年は、皆の前に立っただけで顔が真っ赤になり、足がガクガク震えてしまいました。
今年もきっと、うまく話すことができず大恥をかいてしまう……。そう考えるだけで、夜も眠れないのです。
彼は、その悩みを思いきって仲のよい友人に打ち明けました。
そして、その友人のひと言で、彼ははっと目が覚めたのです。
「お前、どれだけ立派なことを言おうと思ってるんだ?」
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人間関係にはストレスがつきものです。
適度なストレスは張り合いをもって生きるために必要ですが、度が過ぎると、「もう誰とも付き合いたくない」と思うほど心が弱ってしまいます。
人間関係に疲れてしまう人は、他人を「いい人」と「悪い人」に区別し、それをいちいち見破ろうとして、心が疲れ果て、他人にも自分にも嫌気がさしてしまうのではないでしょうか。
そこから脱するためのきっかけとして、「自分の思い通りになってくれる人がいい人ではない」と自分に言い聞かせてみてください。
私たちが他人に対してストレスを感じる原因としては、「嫌な思いをさせられる」「自分の要求に応えてくれない」などということがあげられます。
しかし、だからといって「この人は悪い人だ」と短絡的に考えてはいけないのです。
「どうすれば他人から責められずにすむだろうか」「どうすれば他人に嫌な思いをさせられずにすむだろうか」といくら考えても、解決方法は見つかりません。
怒りや憎しみという感情も、私たち人間に必要なものだから与えられているのです。「そこから何が学べるか」と見方を切り替えてみましょう。
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ある女性は、恋人の自分への愛情が冷めてしまったのではないかと悩んでいます。
もともと、彼からの猛烈なアタックで交際が始まりました。
はじめのうちは、頻繁にメールをくれたし、デートでもつねに気を遣ってくれていたのに、最近は、こちらからメールをしてもなかなか返事がなく、会いたいと言っても仕事が忙しいと断られることが多くなりました。
別れようかとも思うのですが、彼を嫌いになったわけではなく、恋人のいないひとりぼっちの生活に戻るのも淋しいので、なかなか別れ話を切り出せません。
「あんなに私のことを好きだと言っておきながら……」と、彼女は何だかだまされたような気になっているのです。
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