No.271『不満と満足は表裏一体』
腹痛に苦しんでいるとき。
腹が痛いせいで、仕事や勉強が手につきません。おいしいものも食べられず、運動を楽しむこともできず、何をしても気分はすぐれません。
「ああ、この腹痛のせいで、気分は最悪だ」と、腹痛のことばかりが気になってしまいます。
しかし、腹痛と頭痛に同時に悩まされていたとしたら、どうでしょう。
「せめて頭痛だけでも治まってくれれば、どんなに気分がよくなるだろう」と考えます。
そして、頭痛が治まれば、「腹痛だけなら、何とか耐えられそうだ」と、心は安まります。
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ひとつのことに悩み苦しんでいるときは、さらに別の苦しみが重なったことを想定して、「もうひとつの苦しみが消えただけでも幸いだった」と考えれば、ずいぶん気は楽になります。
安易な気休めのように思われるかもしれませんが、ふだん人間が感じている幸・不幸というものも、それと似たような「比較」にすぎないのです。
恋人の優柔不断さに嫌気がさしたとき。
優柔不断の上に、ずる賢くて、わがままで、がみがみ当たり散らす人と較べてみたら、どうでしょうか。
ほかの欠点がない分、よい人に思えます。
「優柔不断だけど、誰でも何かひとつぐらいは欠点はあるから、それぐらいは大目に見ようか」という気になるのではないでしょうか。
仕事がなかなか見つからない。
それでも、身体が健康なだけ、よかったといえます。
仕事が見つからない上に、病気やケガで思うように身体が動かなかったら、どれだけ悔しくてもどかしい思いをしているでしょうか。
病気やケガをして、自由に働けない。
それでも、献身的に世話をしてくれる家族や勇気づけてくれる友人たちがいるだけ、よかったといえます。
身体が自由にならない上に、天涯孤独だったら、どれだけ不安で淋しいことでしょうか。
職場に虫の好かない人がひとりいる。
それでも、嫌いな人がひとりしかいないだけ、よかったといえます。
給料が安くて生活が厳しい。
それでも、借金がないだけ、よかったといえます。
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不満と満足は表裏一体です。
ひとつの不満が際立って感じられるのは、ほかの問題が解決されているからです。
ふつう、私たちは、無意識のうちに呼吸をしています。
風邪をひいて鼻がつまったり、はげしく咳き込んだりしたとき、はじめて、楽に呼吸ができることがどれだけありがたいかが判ります。
すんなりと思い通りになっていることは、手応えを感じないので、特に意識されていないだけなのです。
これまで、どんなにつらいこと、悔しいこと、悲しいことがあったとしても、何とか生きてこられたということは、自分でも気づいていない数多くの幸運に恵まれていたからです。
「嫌なことばかりで、自分の人生はつまらなかった」と嘆くのではなく、「つらいこともあったけど、それに耐えて生きてこられたということは、自分には充分に生きる力があるのだ」と、自分を肯定的に受け入れることもできるのです。
不満は、人を進歩させる原動力ともなります。不満を無理に抑えたり、ごまかしたりしてはいけません。
不満を感じてもよいのです。ただ、「この不満が解消されなければ、自分は幸せになれない」と考えてはいけないのです。
人は、何らかの不満を抱えながら生きていくものです。
ひとつの不満が消えても、また新しい不満が次から次に生まれてくるでしょう。
その不満をバネにして、少しずつ前に進んでいくのだ、と考えればよいのです。
幸せに生きている人とは、不満のない人のことではなく、不満も自分の一部として受け入れている人のことなのです。
(おわり)