No.281『よい関係を結びたいという気持ち』
ある10代後半の男性は、次のように悩んでいます。
いつも行動をともにしている友人がいる。
一緒に遊んでいるときは楽しいのだが、別れた後にふと漠然とした虚しさに襲われることがある。
その友人は、自分といやいや付き合ってくれているのではないか、陰で自分の悪口を言っているのではないか、と勘ぐってしまう。
友人を信頼したいのに、こんなことを考えてしまう自分が嫌になる。
他人との強い結びつきを求めれば求めるほど、「もし裏切られたらどうしよう」という不安も大きくなります。
「信じたい、でも信じられない」という葛藤に悩まされたときは、どうすればよいのでしょうか。
友人を完全には信用できない。でも、友人との関係はつなぎとめておきたい。
ならば、とりあえず「信用できないままに、付き合っていくしかない」のです。
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他人を信じたいと思うのは、相手とよい関係を結びたいと願っているからこそです。
「相手とよい関係を結びたい」という思いさえあれば充分です。
「信じ合えなければ、付き合う価値はない」と考えていては、誰とも付き合い始めることはできません。
人は皆、ある程度は本音と建て前を使い分けているものです。どんなに親しい間柄でも、互いに知らない部分があるのは当然です。
「他人が本当はどう思っているか」を完全に知ることはできません。相手の言動から推測して判断するしかないのです。
そして、どれだけ他人を理解したつもりになっても、それは相手の一面にすぎない、ということも心得ておかなければなりません。
10人の人が見れば、10通りの見方があるでしょう。
自分との関係だけを通して、「この人はこういう人だ」と決めつけようとしてはいけないのです。
「他人を信じられない」と悩んでしまう人は、「他人の心の裏の裏まで読み取ってやろう」「他人を自分の味方に取り込んでやろう」という支配欲が強すぎるのではないでしょうか。
本当に他人を信じるということは、「他人が自分の思い通りに動いてくれることを信じる」という意味ではなく、「他人が自らの意志で、自らの責任で、正しいと思う行動をとることを信じる」ということなのです。
自分が得をするか、損をするかということは関係ありません。
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信頼関係を結ぶには、長い時間が必要です。また、長い時間をかければ、自然に信頼は生まれるものです。
「たとえ今、裏切られても、これまで相手と共有した多くのよろこびを考えれば、損をしたとは思わない」と思えるほど関係を深めたときが、相手を信用できるときです。
相手に心を開けないのは、まだそういう時期がきていないということです。
だからといって、現在の関係が無駄だということではありません。
今は完全に信用できないなら、無理に気取らずに、「現在の私たちの関係は、まだ発展途上である」と素直に認めればよいのです。
「70パーセントぐらいは信用している」と、数値で表してみるのもよいでしょう。
「相手とよい関係を結びたい」という思いがあるなら、「この信頼度を80パーセント、90パーセントと高められるよう、相手としっかり向き合い、対話をし、理解を深めていきたい」と前向きに考えられるはずです。
その過程を省略して、一足飛びに信頼関係を結ぶことはできません。
重要なことは、自分が相手とよい関係を結びたいという気持ちがあるかどうかです。
相手を信用できなくても、「よい関係を結びたい」という気持ちは伝えられるはずです。
信頼関係を築いていく、現在の過程こそが重要なのです。
(おわり)