「私はあの人に、これだけのことをしてあげたのに」
ということは、人は、細かいことまでよく覚えています。
その代わり、人にしてもらったことは簡単に忘れてしまいます。
夫婦や恋人同士のいさかいの多くは、「してあげたこと」と「してもらったこと」の不釣合いへの不満から生まれます。
誰でも、自分が人にしてあげたことは重大なことに感じますが、人にしてもらったことは軽くみてしまいがちですので、釣り合いがとれるはずがないのです。
「こうしてほしい」という要求には、きりがありません。
「こうしてくれてありがとう」という感謝にこそ、愛の喜びがあります。
彼(彼女)に「してもらったこと」を、よく思い出してみてください。
「してあげたこと」は、すべて忘れることです。
公平にみて、それで、ちょうどいいくらいなのです。
(おわり)
愛される人は幸せです。
「愛されるから幸せ」なのではなく、「幸せだから愛される」のです。
幸せは、どこにあるのでしょうか。運のいい人だけが、たまたま手に入れられるものなのでしょうか。
いえ、人は誰でも、幸せになることができます。
人間の幸、不幸は、客観的な現実によって決まるのではありません。その現実をどう受け止めるかによって決まるのです。
末期ガンを宣告されたある人は、こう言いました。
「私は、ガンに冒されて幸いだった。もしも交通事故で一瞬のうちに命を落としていたら、愛する家族や友人に、最期に感謝を伝えられなかった」
もしもあなたが、「私は不幸だ」と嘆いているならば、それは、ばち当たりというものです。
不幸とは、「与えられたものへの感謝を忘れ、ないものばかりを数えて不満をいうこと」をいいます。
繰り返しますが、人は誰でも、必ず、幸せになることができます。
何か形のあるものを手に入れる必要はありません。幸せに気づきさえすればよいのです。
幸せは、人生のゴールではありません。スタート地点です。
幸せからすべてが始まるのです。
「他人に幸せにしてもらいたい」と願うのではなく、まず自分の幸せを認識することが、愛される一番の近道です。
幸せな人のまわりには、自然と人が集まります。
そして、幸せは人から人へ伝染し、ますます増幅していくことでしょう。
(おわり)