No.034『演技を控えよう』
人は、生きていく上でさまざまな役割を演じなければなりません。
デパートの店員は、わがままで横柄な客に対してどんなに腹が立っても、口答えすることはできません。店員は店員の役割を演じなくてはならないのです。
部下の前では上司を演じ、家に帰れば妻の前では夫を演じ、子供には父親を演じます。
誰にでも自分に課せられた役割、立場があるので、ある程度は個人的な感情を排して演技をしなければならないのは、仕方のないことです。
小学生でも、家の中と学校とでは態度を変えています。先生の前では生徒を演じているといえます。
しかし、立場上やむをえない場合は別として、大切な恋人や配偶者、友人などの前では、「役割を演じる」ことはなるべく控えた方がよいのではないでしょうか。
人がなぜ演技をするのかといえば、その方が被る損害が少ないという打算が働いているからです。
デパートの店員が客に逆らえば、後で上司に叱責されたり、悪くすれば降格やクビになったりする可能性があります。自分の職務上の立場を危うくするより、感情を抑えて演技をする方がましだと考えるのです。
同じように、彼氏の前で「よい彼女」を演じたり、妻の前で「よい夫」を演じたりするのは、「自分が嫌われる」、または「世間体を悪くする」という損害をできるだけ少なくするためです。
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恋人や配偶者に対して、「私はこんなに気を遣っているのに、相手はまったく私の愛情に応えてくれない」と嘆いている人は、単に相手の前で「よい彼氏」や「よい妻」を演じているだけなのです。
自分が嫌われたくないから、不満があっても腹にため込み、相手の前ではいい顔をするということは、「気を遣う」ことではありません。
そういう人は自分を優しい人間だと思い込んでいますが、それはただの「臆病」であり、優しさではありません。
本当の意味で「気を遣う」というのは、相手の人格を理解し、それに合わせた接し方をするということです。
たとえば、落ち込んでいる人を励ますにも、その人の性格や今の気持ちなどを充分に勘案しなければなりません。
厳しい言葉で一喝されれば、「なにくそ」と奮起する人もいますし、逆にますます自信を喪失してしまう人もいます。優しい言葉で慰めてほしいという人もいますし、黙って見守ってほしいという人もいます。
相手の立場で考えるということが、「気を遣う」ということです。
それを理解せず、ただ「優しい自分」を演じている人は、相手のことなど真剣に考えておらず、「私はこんなに優しい人間ですよ」ということを一方的にアピールしているだけなのです。
そういう人は、結局、幸せを求めているのではなく、他人から幸せだと思わることを求めており、不幸を怖れているのではなく、他人から不幸だと思われることを怖れているだけなのです。
演じるという行動は、「自分は他人に受け入れてもらえないのではないか」という不安から生まれます。それらの不安のほとんどは、自分の勝手な思い込みなのです。
いくら演じ続けても、ますます不安にしばられるだけで、永久に幸せは得られません。演じることをやめて、本当の自分の心の声に耳を傾けてみてください。
幸せは、他人の評価で決まるものではなく、自分の心で感じるものです。
人間が生きる喜び、充実感を感じられるのは、自然のままの自分の感情を表せる状態のときなのです。
(おわり)