No.081『責任感について』
正義感と責任感。
言うまでもなく、これらは人間にとって非常に重要なことです。
正義感のない人は、自分が得をするためなら「悪いことをしても、見つからなければよい」と考え、利己的になりがちです。
また、責任感のない人は、自分を守ること、面倒から逃げることばかり考え、自分の怠惰が他人に迷惑をかけているという意識がありません。
正義感と責任感は、一人前の大人として認められるための最低条件でしょう。
しかし、これらは、「確固たる自己」が形成された結果として、自然に生じるべきものです。
「自己」がなく、正義感や責任感だけが強い人は、ただ「堅苦しい人」と思われるだけで、かえってまわりからうとまれ、また自分自身も苦しむことになってしまいます。
自分に自信のない人が、やみくもに正義感や責任感で自分を縛りつけるということは、よくあります。
自己をもたない人にとって、正義感や責任感とは、「他人から批判されないための防具」であり、また、「他人を批判するための武器」なのです。
自分は、会社で与えられた仕事を責任をもってこなしているのに、まったく報われない。
母親として、妻としての努めをきっちり果たしているのに、夫は評価してくれない。
責任感の強い人ほど、激しいストレスに悩まされてしまいます。
何をするにも、自分から進んでしているのではなく、「やらされている」という意識しかないのです。
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もちろん、自分に与えられた責任を果たすことは、それだけをとり上げて考えれば、けっして間違ってはいません。絶対に正しいことです。
しかし、理屈では正しいことだからこそ、始末が悪いのです。
「自分は間違っていないのに、なぜ報われないのか」という被害者意識、他人への怒りに悩まされてしまいます。
そこで、原点に立ち返り、「何のための責任感か」ということを考え直す必要があります。
責任感それ自体は正しいことなのですから、改めることはありません。
しかし、責任感とは、「自分自身への誇り」の自然な結果として生じるものなのです。あくまで、心豊かに生きるためのものです。
自分の不安をごまかすためのものでも、他人を批判するためのものでもありません。
自分にとっても社会全体にとっても有益であるから、責任感というものは存在するはずです。
責任感がかえって自分を苦しめるなら、やはりその動機が間違っています。
自らの意志で責任感を「もつ」のではなく、「もたされている」という意識しかない人は、結局、「自分だけが我慢している」という不満を抱いてしまいます。
はっきりとした自我に目覚め、自分に誇りをもっている人は、むしろ正義感や責任感というものは、ことさらに意識することなく生きています。
責任感はしっかりと自分の中にとけ込んでいるので、「我慢している」などという意識はさらさらないのです。
(おわり)