No.082『怒りをしずめる』
いつも愚痴や他人の悪口ばかり言っている人は、まわりの人を不愉快にさせます。しかし、当人は、ほどよくストレスのガス抜きをしているので、精神の衛生という面から見れば、悪いことではないでしょう。
もちろん、そもそもストレスをためないようにするほうがよいのは、言うまでもありません。
いつも怒っている人よりも、さらに悪いのは、怒りを抑圧してしまう人です。
これは、ふだん「おとなしい人」と思われている人によく見られる傾向です。
表面上は怒りなどまったく感じていないように見えるのに、心の中では、抑圧された憎しみが渦巻いているのです。
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抑圧は無意識のうちに行われているので、自身さえも気づいていません。
自分の心をごまかしているうちに、自分でも本当に怒りなど感じていないと思い込んでしまうのです。
抑圧した感情が、心を内側からむしばんでいきます。
他人に対して、「どうして〜してくれないのか」「もっと〜してくれればいいのに」と怒りを感じていながら、それがみにくい感情であることは判っているので、はっきりと口に出すこともできず、心の奥に閉じこめてしまいます。
「自分は、他人を批判するようなひねくれた性格の人間ではない」と他人に見せかけ、自身もそう思い込みたいのです。
では、他人が悪いのでなければ、いったい誰が悪いのか。なぜ自分は、こんなにもストレスを感じているのか。
怒りを抑圧した人は、自分が他人とうまく人間関係を結べないことの説明ができないので、結局、「自分が悪い」ということにしてしまいます。
それが「自信のなさ」につながります。他人への怒りをごまかす代わりに、「自分に自信がもてないから」ということで、つじつまを合わせようとするのです。
「自信のなさ」とは、すなわち、抑圧された怒りの表出です。
「思い切り他人に怒りをぶつけることができたら、どんなに気分がすっきりすることだろう」と思っていながら、そんな心のうちを他人に悟られることが怖いので、必死でごまかさなければなりません。
「自分は純粋な人間である」という最後の砦を死守するために、不本意ながらも怒りを抑圧してしまいます。
自分の心をごまかし、そのもどかしさ、ふがいなさが、自分をよけいに苦しめるのです。
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自分に自信をもつための第一歩は、他人への「無意識の怒り」をしずめることです。
まず、「どうして〜してくれないのか」という不満を捨てることから始めましょう。
どうして私の気持ちを判ってくれないのか。どうして私にもっと気を遣ってくれないのか……。
「〜してくれてもいいのに」というごう慢さが、ストレスを生み出します。自分も完璧な人間ではないのに、他人には完璧な優しさを求めてしまっているのです。
親しい友人や家族といえども、「してくれて当然」のことなどありません。
感謝を忘れた人生に喜びはありません。
「まわりの他人が自分を尊重してくれないから、自分は不幸なのだ」という思い込みは、自分の人生の主導権を放棄することであり、実は、他人への屈服、敗北を意味します。
幸せは、当然ながら、自分の心が感じるものです。「はっきりと目覚めた心」をもたなければ、幸せを感じることはできません。
自分の価値は、「他人からどう扱ってもらえるか」によって決まるのではなく、「自分が何を考え、どういう信念に従って、どのような行動をとるか」によって決まるのです。
(おわり)