No.140『否定的な考えにとらわれたとき』
前向きに生きたいのに、何でもものごとを悪い方向に考えてしまう。
人前できちんと話そうと思えば思うほど、緊張して口ごもってしまう。
他人と仲よくしたいのに、ついあら探しばかりして非難してしまう。
嫌いな奴のことを思い出しては、イライラ、モヤモヤしてしまう。
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リラックスブック(だいわ文庫) たかたまさひろ(著) 定価 770円(税込) 人づきあいが苦手、小さなことですぐムカッとしてしまう、自信がない、そんなあなたの心を軽くする本 こころのお掃除、始めましょ |
前向きに生きたいのに、何でもものごとを悪い方向に考えてしまう。
人前できちんと話そうと思えば思うほど、緊張して口ごもってしまう。
他人と仲よくしたいのに、ついあら探しばかりして非難してしまう。
嫌いな奴のことを思い出しては、イライラ、モヤモヤしてしまう。
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挫折感や自己嫌悪は、特に青年期において顕著にあらわれます。
幼い子供が自己嫌悪を感じないのは、自分を中心に世界が回っていると考えており、他人から見た自分の姿を客観視できないからです。
自己嫌悪を感じる能力は、子供から大人に脱皮するために不可欠なものです。健全な心をもった人であれば、幾度かの挫折や自己嫌悪を経験しているのが当然なのです。
まったく自己嫌悪を感じない人というのは、他人の立場になってものごとを考えることのできない幼稚な子供です。
また、大人になって年齢を重ねるにつれ、挫折感や自己嫌悪を抱くことが少なくなっていくのは、自分の身の丈を知り、あきらめを感じるからです。
「あきらめ」というと、消極的な逃避のように思われそうですが、この「あきらめ」を知るということもまた、健全な成長に欠かせないものです。
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不登校になったり、家に引きこもったりする若者は、けっして不真面目なわけではなく、むしろ完璧主義なほどに生真面目な性格で、知能も高い場合が多いものです。
幼いころから「明るくて勉強もできるいい子」であることを親に強要され、その理想に向かって精一杯努力し、演じ続けてきたのですが、とうとう力尽きて、張りつめていた心の糸がぷっつりと切れてしまったのです。
当人にとって、学校にも行かず、仕事もせずにだらだらと過ごす自分は、典型的な「悪い子」にほかなりません。「いい子」をやめれば楽になれるという願望と、それを許せないという自己嫌悪との葛藤で苦しんでいます。
心配する親は、我が子を何とか立ち直らせようと、「がんばりなさい」と励まします。しかし、それは子供にとっては、「いい子をおりることなど許しませんよ」という脅迫に聞こえます。
がんばりすぎて身も心も疲れ果ててしまったのに、なおも「がんばれ」と急き立てられることは、あまりにも厳しく、情け容赦のない仕打ちです。
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自分の劣等感から目をそむけ、他人とのかかわりを断絶し、自分の殻に閉じこもって生きていた人が、自らの意志に目覚め、「これからは明るく前向きに生きよう」と心を入れ替える。
それはもちろんすばらしいことですが、そういうときに陥りがちな過ちがあります。
「前向きに生きようと決めたのだから、これからは後ろを振り返ることは絶対に許されない」と四角四面に考えてしまうことです。
そういう人は生真面目で神経質である場合が多いので、自分が決めたことは完璧にやり遂げなければ気がすみません。
少しでも腹を立てたり、暗く落ち込んだりしてしまえば、「せっかく明るく生きようと決めたのに、なぜできないのだ」と自分を責め、以前よりもストレスを増大させてしまうのです。
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浮気を繰り返す人やすぐに暴力をふるう人、金品を貢がせる人など、ろくでもない恋人に苦しめられながらも、なかなか別れられないという人がいます。
たとえ別れられたとしても、懲りずにまた同じような恋人を選んでしまうのです。
「他人が自分をどう扱ってくれるかによって、自分の人生が決まるのだ」とかたくなに信じ、常人には想像もできないような強い忍耐力をもって、ひたすらに「相手が心を入れ替えて自分に尽くしてくれるようになる」ことを待っています。
はたの人たちは、「いったい何が楽しくて付き合っているのだろう」と首をかしげるのですが、当人は、お人好しすぎるほどに相手を信じ、自分を犠牲にし、傷ついていくのです。
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若い人の多くは、他人から「暗い人間」だと思われることを極度に怖れます。
自分を明るく見せようとして、精一杯の作り笑いをしたり、不自然にはしゃぎまわったりする反面、心の中は冷めていて、他人にへつらっている自分に嫌気がさしてしまう、ということもよくあります。
友達同士の乗りのよい会話についていけないと悩んでいる人がいますが、乗りのよさとは、その場かぎりの雰囲気づくりにすぎず、腹を割って向き合っているということにはなりません。
豊かな人間関係を結べるかどうかということは、けっして乗りのよさなどでは測れないのです。
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自分が他人からどう思われているかということは、誰でも気になるものです。
しかし、これはまた、いくら考えてもきりがないことでもあります。
他人と話をしているとき、自分の顔はどう映っているか、相手に不快感を与えていないか、自分の話はつまらないと思われているのではないか、などと考え始めると、頭の中が混乱し、何も話せなくなってしまいます。
人前で緊張してうまく話せないという人は、「話をすること」と「どう思われているかを気にかけること」のふたつを同時に行おうとしてしまっているのです。
このふたつは、相互に影響し合っています。相手の反応が気になるから、うまく話さなければならないと緊張してしまいますし、うまく話さなければいけないという思いが強いほど、また相手の反応が気になってしまいます。
堂々巡りできりがありません。
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人間関係において感じるストレスの原因は、さまざまです。
嫌なことを言われた、意見が合わない、してほしいことをしてくれない……。
しかし、同じ状況のもとでも、ストレスを感じる人と感じない人がいます。
やはり結局、ストレスは自分の心が生み出すもので、自分の問題なのです。
ストレスの原因はさまざまですが、ストレスを引き起こす心の働きは、突きつめて考えれば、ほぼ共通しています。
他人に対して「思い知らせてやらなければ気がすまない」という憤りです。
自分をバカにした人が許せない。同じ悔しさを味わわせ、自分がどれだけ腹が立ったかを「思い知らせてやりたい」。
恋人が自分に気を遣ってくれない。自分がどれだけ傷ついているか、相手がどれだけ冷たい人間であるかを「思い知らせてやりたい」。
偉そうにいばっている上司が気にくわない。自分は表面的にはへつらっているが、本当はどれだけ心の中で嫌っているかということを「思い知らせてやりたい」。
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人生の豊かさの指標は、まさしく対人関係であるといってもよいでしょう。
幸せであるということは、とりもなおさず良好な人間関係に恵まれているということを指します。
どれだけ経済的に豊かであっても、皆から嫌われている人は不幸ですし、社会的地位は低くても、いつもまわりに笑顔を振りまき、多くの人から慕われている人は幸せです。
また、ストレスというものの大部分も、対人関係に起因します。
リストラの憂き目にあったり、経営する会社が倒産したりして、うつ病になってしまう人は、生活の糧を失う不安よりも、自分が誰からも必要とされなくなることへの怖れによって心を病んでしまうのです。
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引っ込み思案で、好きな異性の前でうまく話せない、友人との会話が続かない、と悩んでいる人は、「もっと度胸をつけて、人前で臆せず話せるようになりたい」と思っているのかもしれません。
大胆にならなければ他人と対等にわたり合えない、と思い込んでいるのでしょう。
しかし、怖がってはいけない、と自分に言い聞かせれば、ますます怖れを意識してしまい、それを克服できない自分に嫌気がさしてしまいます。
他人と健全な関係を結ぶのに、大胆になる必要はないのです。
恥ずかしがり屋の人が、下手に強がった態度を見せても、居丈高で嫌味な印象を与えるだけです。
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