No.195『何ものにもとらわれるな』
禅の教えでは、「善悪にこだわってはいけない」と説いています。
私たちはふつう、よい行いは褒められるべきことだと思っています。
しかし、「何ものにもとらわれるな」という禅の考え方では、たとえよいことであっても、とらわれることは不幸のもとになるというのです。
だからと言って、善悪をわきまえず、好き勝手な行動をとればよいというのではありません。悪い行いは慎み、よいことは積極的に行うべきです。
よい行いはすべきですが、「私はよいことをした」と思ってはいけないのです。
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自分をよい人間だと思ってしまうと、「よい人、悪い人」で他人を差別するようになります。思わぬ不運に見舞われたり、他人がうらやましく思えたりするとき、「私はこんなによいことをしているのに、なぜ報われないのか」という不満が生まれてしまいます。
人は、「よいこと」のために他人を恨んだり、絶望したりすることもあります。
禅は、自分を省みない尊大な人間になってはいけない、と戒めているのです。
よい悪いにこだわらないのが、よい生き方ということです。
好きなもの、打ち込めるものがあるというのは、すばらしいことですが、どんなに「よいこと」であっても、自分が「よい」と思っているにすぎません。「たかがそれだけのこと」と、客観的に自分を見つめることも大切です。
好きな人に自分の愛情を伝えるのはよいのです。しかし、「これだけ愛情を示しているのだから、相手はそれに応えるべきだ」と思ってはいけません。
好きな仕事に打ち込むのはよいのです。しかし、「これだけ働いているのだから、評価されるべきだ」と思ってはいけません。
どれだけ献身的に他人につくそうが、大企業の社長になろうが、「たかがそれだけのこと」なのです。
私たちは、富めるときは富に執着し、貧しいときは貧しさを嘆き、愛されては愛にしがみつき、孤独なときは孤独をかこつものです。
何かをえようと執着し、失うまいと執着し、失ったものに執着し、結局、何をえても失っても、執着に苦しめられるのです。
他人に嫌われることや職を失うことを怖れてしまうのは、「そういうことは絶対に起こってはならない」と思い込んでいるからです。
執着を強めれば強めるほど、「いま手放してしまえば、これまで執着してきたことが無駄になってしまう」と、ますます手放しがたくなります。
しかし、絶対に失ってはならない幸せなど、本当の幸せではなく、幻にすぎません。
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何を失っても、「たかがそれだけのこと」です。それに合わせて自分が変わればよいのです。
たとえ好きな人に振られても、「最悪でも、ひとりの愛を失うだけ」です。
たとえ会社をクビになっても、「最悪でも、ひとつの職を失うだけ」です。
世界を敵に回すわけでも、命を奪われるわけでもありません。
この世界で何が起ころうが、朝になれば太陽が顔を出し、夜には月が浮かび、春には花が咲きます。
太陽が昇るのも、花が咲くのも、「よいこと」だからではありません。ただ、「そういうものとしてある」だけです。
うれしいときも、つらいときも、私たちの心臓は一瞬も休むことなく動き、血液が全身を巡り、肺は呼吸をしています。腹がへり、のどが渇き、食べたものは消化されて排泄されます。
よいも悪いもなく、ただ人間の身体はそのようにできているから、粛々と営みが繰り返されているのです。
自分の生命を支えているひとつひとつの細胞、気の遠くなるほど複雑な器官の働きに思いを馳せれば、生命の神秘に驚かずにはいられません。けっして人工的につくることはできない、奇跡のたまものです。
生命の偉大さに較べたら、善悪だの優劣だの損得だのということは、まったくとるに足りないことです。
「何のために生きているのか」と深く考えすぎて頭がこんがらがったときは、自分の身体にきいてみるとよいでしょう。
身体は、あらゆる器官を結集し、見事な連携プレーで、こんなにも懸命に生きようとしています。
何のために生きているわけでもなく、生きること自体が意味なのです。
「何ものにもとらわれるな」というのは、何も考えずだらだらと生きればよいということではありません。
植物が光に向かって伸びるように、鳥が空へ羽ばたくように、人間として生まれた以上、「よく生きたい」という欲求に従うのは当然のことです。
しかし、「よい人生」にとらわれすぎると、逆に嫌なことばかりが気にかかり、そこから不安や苦しみが生じてしまいます。
よい人生だろうが悪い人生だろうが、私たちは、自分以外の生を生きることはできません。
花は花としての命を、虫は虫としての命を、精一杯に生きています。
精一杯に生きたからといって、いったい何になるのかというと、何にもなりません。「たかがそれだけのこと」です。
ただ、花は花として、虫は虫として、よいも悪いもなく、あるがままに生をまっとうしています。
自分という、たまたまこの世に授かった縁を、命のかぎり生き抜くこと。
それ以外にできることはないし、それ以上に価値のあることもないのです。
(おわり)