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たかたまさひろ(著)

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たかたまさひろ(著)

No.205『自分の気持ちを受け入れる』

恋人のこういうところが許せない、こういう言動に傷ついた、と文句ばかり言っている人にかぎって、まわりの人から別れろと言われても、なかなか別れようとしないものです。
恋人が自分を認めてくれるようになるまでは、自分の人生は何もはじまらない、絶対に自分を認めさせなければならない、という思い込みにとらわれているのです。

「私は不幸だ」と嘆いている人は、不幸から抜け出したいと望みながらも、一方では自由を手にすることを怖れている、という矛盾の中で苦しんでいます。
行き先の判らないバスに乗って、あちこちをさまよっているようなものです。
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バスが終点にたどり着けば、また適当に別のバスに乗り換える。行き先が判らないので、自分の思い通りには進んでくれず、不満が募る。
しかし、バスを降ろされて、地図もコンパスもなく、「さあ、あなたの好きなところに自由に行きなさい」と言われても、どうすればよいのか判らず、困ってしまう。
「思い通りにならない」と文句を言いながらも、やはり行き先の知れないバスに乗っているほうが安心だと考えているのです。

現代は自由な世の中です。
自由には、「自由を拒絶する自由」さえも含まれます。「私は、自分の幸福や生きがいを自分で決められないので、他人に決めてほしい」と思うなら、それでもよいのです。
しかし、他人に服従することを選ぶなら、どういう結果になろうとも文句を言ってはいけません。
いくら自由な時代だといっても、「他人に判断を任せたくせに、その結果に文句を言う」ことが許されるほどには自由ではないのです。

自分に自信のない人は、他人の何気ない言動に対して、「自分は嫌われているのではないか」「バカにされているのではないか」と大げさにとらえてしまいます。
しかしそれらは、「他人はすべて、自分に関心をもっている」という過剰な自意識の裏返しなのです。

つねに自分を責めていれば、他人からうとまれようとも、反感をもたれようとも、ともかく他人の関心を引くことができます。
「私のせい」だという罪悪感は、「私と関わってほしい」という願望の転化です。
「私のせいで相手は機嫌を悪くしたのではないか」というのは、「私は相手を不機嫌にさせるほど影響力のある人間である」ということです。
孤独を怖れている人は、他人が自分と関わりのないところで泣いたり笑ったりしていることが許せないのです。
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「不幸のバス」から降りて、自分の足で歩きはじめるためには、孤独を受け入れる勇気が必要です。
「他人は、自分が望んでいるほどには関心をもってくれてはいない」という事実を受け入れなくてはなりません。そして、他人の関心を引こうとしなくても自分は幸せになれるのだ、ということを認めなくてはなりません。
「孤独」と「孤立」は、まったく異なるものです。
孤独を認めることは、けっして淋しいことではありません。むしろ他人への執着をやめ、自分の足で歩み出すことは、他人との健全な関係を結ぶ第一歩となるのです。

「なぜ他人は自分の気持ちを判ってくれないのか」という不満を感じたときは、「では、自分は他人の気持ちをどれだけ判っているというのか」と自分の胸に問いかけてみましょう。
人間の価値は、「どれだけ他人に理解してもらえるか」ではなく、「どれだけ他人の気持ちに共感できるか」というところにあります。

他人の気持ちを理解できる人は、自分が他人に理解してもらえないと言って嘆くことはありません。
他人の痛みに共感できるようになれば、自分の怒りや悲しみも同じようにしっかりと受け入れられるようになります。そして、自分で自分の気持ちを受け入れられれば、それで充分だと思えるようになります。

もちろん、他人との関わりは大切です。しかし、自分が他人にどう思われるかということは、自分でコントロールできることではありませんから、いくら気にしても仕方がないのです。
自分でコントロールできることは、「自分が他人をどう思うか」と「自分が自分をどう思うか」ということだけです。
「自分は相手にとってどういう存在であるか」は、相手ではなく自分が決めることなのです。
本当の充実感、満足感は、自分でコントロールできることによってしかえられないのです。
(おわり)

ありがとう ロングセラー 46刷
こころのおそうじ。(だいわ文庫)
たかたまさひろ(著)
定価 770円(税込)

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メッセージ No.200-209
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