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たかたまさひろ(著)

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たかたまさひろ(著)

No.211『自分の権利と他人の権利は同格である』

社会が複雑になるにつれ、人間関係もややこしくなり、ストレスも増大します。
昔、ムラの中だけで生きていた時代は、自分のムラの掟に従っておけば充分でした。
しかし現代は、価値観は多様化し、さまざまな考えをもった人々がひしめき合って生きているのですから、意見の違いによる衝突は避けられません。

自分がよかれと思ってやったことが、相手には迷惑だったということもあります。
自分はこうしたほうがよいと思うのに、なぜ相手はそう思わないのだろう、といら立つこともあります。
人それぞれ、自分なりのルールに従って生きており、生きる目的も、幸せに対する考え方も違うのですから、仕方がありません。
自分が正しいと思うなら、どんな信条に従うのも自由ですが、ただ最低限守るべき重要な原則があります。
それは、「自分がする権利があると思うことは、他人にもする権利があると認める」ということです。
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「人を殺してはいけない」というのは当たり前のことですが、なぜそういうルールができたかというと、世の中のほとんどすべての人が「他人に殺されたくない」と考えているからです。
いつ誰に殺されるか判らないのでは、おちおち外を出歩くこともできません。
「自分は他人に殺されたくないから、自分も他人を殺さない」という約束ごとを皆で守ったほうが安心だと大多数の人が認めたから、そうなったのです。

「私には人を殺す権利があるが、自分が死にたくはない」などと言っても、誰も取り合ってはくれません。
自分が他人を殺さないことを保証してはじめて、自分も他人から殺されない権利を主張することができます。
ルールとは、自分の自由を制約するためにあるのではなく、自分の権利を主張するためにあるものなのです。

では、自分も死ぬ覚悟を決めている人は、人を殺してもよいのかというと、けっしてよいとはいえませんが、残念ながら、それをルールで防ぐことはできません。
そういう人は、愚かではありますが、卑怯とは言えないでしょう。
対等な条件のもとで互いに命を懸けて闘う「決闘」は、合法とされていた時代もありました。
少なくとも言えることは、他人を殺すならば、自分も死ぬ覚悟が必要だということです。
もっとも、自分の命を投げ出してまで人を殺さなければならないまっとうな理由などありえませんから、そんなバカげたことはやめたほうがよいのは言うまでもありません。

銀行やレストランなどで「行列に並ぶ」という行為が、「自分の権利を守るとともに、他人にも同じ権利を認める」ことを示す代表的な例です。
列に並ぶということは、「私は、先に並んでいる人を抜かしません。その代わり、後からきた人も私を抜かさないでください」と主張する行為なのです。

自分がされたくないことは他人にしてはいけないし、自分ができないことを他人に要求してもいけません。「自分だけが許される」という考えは許されないのです。
自分が他人をバカにするなら、自分も他人からバカにされることに耐えなければなりません。
自分が誰かに愛情を要求するなら、自分もいつ誰から愛情を要求されても、必ず応えなければなりません。
友人の心が変わったと非難する人は、けっして自分も考え方を変えてはいけません。
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では、この原則を破る身勝手な人に対しては、どう対処すればよいのでしょうか。
端的に言ってしまえば、どうしようもありません。
他人に恨まれ、軽蔑されてまで何らかの利益をえても、心からの幸福感はえられず、虚しいものです。ふつうの人は、そんなことは自分にとって損だと思うから、身勝手な行動を控えるのです。
しかし、それでいいと開き直っている人には、対処するすべはありません。
どんなに殺人罪の刑罰を重くしても、自らも死ぬ覚悟ができている人が殺人を犯すのを阻止することができないのと同じです。

ただ、「身勝手な行動をとること」と「他人から認められること」を両立させることは誰にもできないという点では、みな平等なのです。
身勝手な人は、誰からも理解されず、誰からも愛されず、孤立して生きていくことに耐えなければなりません。
それは自分にとって損な選択だということに、いつか気づくことでしょう。

「他人に嫌なことをされたのだから、自分も他人が嫌がることをしてもかまわないのだ」などと考えてはいけません。そういう人は、また「自分も他人に嫌なことをされても文句を言えない」という無限の苦しみの中に引きずり込まれることになります。
「私をバカにした人に仕返しをしてやりたい」と考える人は、そうすることによって、傷つけられたプライドを回復しようとしているのかもしれません。しかし、そんなくだらない相手とプライドを張り合ったところで、勝っても負けても大差はなく、自分も相手と同じレベルに成り下がるだけです。
プライドを重んずるのであれば、「憎しみの連鎖を自分のところで断ち切る」ことこそが、人間としてもっとも誇るべき高潔な態度ではないでしょうか。

人間同士、考え方の違いによる衝突は、よく起こるものです。
他人と考え方が違っても、自分が正しいと思うなら、怖れることも恥じることもありません。互いの考え方を尊重し合えばよいのです。
非難されるべきは、「考え方の違う人」ではなく、「卑怯な人」です。
「自分がしたことは、他人にされてもかまわない」という原則さえ守っていれば、人間関係において不安を感じることはないし、無用なトラブルも避けることができるでしょう。
(おわり)

ありがとう ロングセラー 46刷
こころのおそうじ。(だいわ文庫)
たかたまさひろ(著)
定価 770円(税込)

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メッセージ No.210-219
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