No.213『欲望に踊らされないために』
欲望は、生きるための大きなエネルギーとなります。
少しでも裕福な暮らしをしたいとしたいと思うから、人はがんばって働くのだし、他人に必要とされたいと思うから、友情や愛情を大切にしようとします。
欲望が経済や文化を発展させてきたという一面もありますが、他方、欲望はストレスの原因となり、人間を破滅させるほどの苦しみともなりえます。
紀元前5世紀の昔でさえ、ソクラテスは市場にあふれるものを見て、「私にはいらないものがこんなにあるのか」と驚いたそうですが、現在はそれをはるかに上回る多くのものに囲まれているにもかかわらず、人々は満足することを知りません。
むしろ、欲望は手がつけられないほどにますます肥大化してしまっているのです。
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現代の資本主義経済のもとでは、企業は次々に消費者の欲望をかき立てようとしますから、私たちは心して情報の取捨選択をしなければ、その策略に踊らされることになってしまいます。
生産者は、消費者の満足するものを売ろうとしますが、売った後は、それだけで満足されては困るわけです。次々に新商品を売り続けるためには、新たな欲望や不安をけしかけなければなりません。
「流行に敏感な人は、みんなもっていますよ」
「美しくなければ、愛されませんよ」
「勉強を怠っていると、落ちこぼれますよ」
「あなたの身のまわりは、ばい菌だらけですよ」
「今どきこんなことも知らないと、時代に乗り遅れますよ」
企業は、人々の不安をあおり、自己愛をくすぐり、需要のないところに無理やり需要をつくり出そうとします。
私たちは、頭のいい人たちが金儲けのために巧妙に仕組んだからくりにのせられ、遊びや快楽、優越感さえも、お金を払ってえようとしてしまいます。
現代は、つねに欲望と不安の洪水にさらされている時代だといってもよいでしょう。その洪水に漫然と浸っていては、私たちの心は、たちどころに不安と劣等感で塗り固められてしまいます。
ストレスを減らすためには、はじめから欲望をもたなければよいということになりますが、そうは言っても、私たちの心はそう簡単に割り切れるものではありません。
やはり誰でも、少しでも楽な暮らしをしたいと思うし、他人から評価されたいと思うものです。
欲望を抑え、我慢することがまたストレスとなってしまっては、意味がありません。
人は裕福な暮らしに憧れます。しかし、どんな大金持ちの幸せも、「貧しくても幸せな人」にはかなわないでしょう。
富が増えれば、それを守るためにつねに神経を張りつめていなければなりません。だまし取られることを怖れて、他人を簡単には信用できなくなるかもしれません。
それに対して、「貧しくても幸せな人」は、何も失う心配はないのですから、気楽なものです。自分の幸不幸を決めるのは、他人ではなく、外的要因でもなく、自分の心ひとつなのです。これほど心強いことはありません。
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何かをえたことによる幸せが大きければ大きいほど、それを失うことの不安も大きくなります。
お金持ちだからという理由だけでちやほやされている人は、富を失えば、誰からも相手にされなくなります。そのショックは、皮肉なことに、貧乏人には想像もできないほど大きなものでしょう。
恋人に愛されることは幸せですが、「この愛を失えば不幸」だと考えてしまえば、つねに恋人の愛情を確認し、浮気をされていないかを警戒し、不安に怯え続けなければなりません。
欲望を抑えるのは難しいことですが、欲望を満たそうとすればするほど、背中合わせに不安も増大するのだということも覚悟しなければならないのです。
「どれだけ裕福な暮らしをしているか」「どれだけ多くの人から賞賛を受けているか」ということを幸せの尺度としてしまうと、どうしても自分と他人を較べて、自分よりも恵まれている人には嫉妬を感じてしまいます。
しかし逆に、「いかに少ないもので満足できるか」で幸せを測れば、不安や嫉妬を感じることはありません。
自分よりも少ないもので満足している人を見れば、感心し、見習おうという気持ちは起こっても、「悔しい」「引きずり下ろしたい」などというよこしまな感情はわき起こらないはずです。
「必要最小限のもので満足すること」は、その気になりさえすれば、誰にでもできることです。
「その気になる」ことが非常に難しいのですが、収入や肩書きや容貌などの条件によって差別を受けることなく、誰にでもその権利は与えられているのです。しかもその幸せは、けっして何ものにも侵されることはないのです。
それこそが、人間が求めるべき本当の幸せではないでしょうか。
「あれがほしい、これもほしい」という欲望を完全に抑えることはできませんが、「それは本来、目指すべきものではないのだ」ということを心にとどめておくことは重要です。
「自分は、裸の体ひとつで生きられるほど強くはないから、かりそめの幸福で自分を飾りつけ、ごまかしているのだ」ということをわきまえていれば、欲望だけが暴走したり、欲望に操られたりすることは避けられるでしょう。
(おわり)