No.215『時間をかけて人生を味わう』
よくない性格の代表的なものといえば、「怒りっぽい」「わがまま」「嫉妬深い」「ひがみっぽい」などが挙げられるでしょうか。
これらの性格にほぼ共通して言えることは、「短絡的、近視眼的」であるということです。
「怒りっぽい人」というのは、自分の気に入らないことがあったとき、その不満を他人に訴えるために怒りを表すのでしょうが、本当に自分が正しいのであれば、その正当性を穏やかに、筋道立てて説明することもできるわけです。
「怒る」という行為は、「きちんと説明する」という面倒な手間を省いて、脅すことにより無理やり相手を従わせようとすることです。
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こちらが怒れば、相手も身構えて、態度を固くするでしょう。そうなると、どちらが正しいかという問題ではなく、ただの感情のぶつけ合い、意地の張り合いとなってしまいます。
「自分の正当性を訴える」ことを目的とするならば、どなりちらすよりも、落ち着いて説得したほうが、時間はかかっても、相手を納得させられる確率ははるかに高いのです。
「わがままな人」とは、他人に迷惑をかけてでも自分の欲求を満たすことを優先させる人のことです。
「嫉妬深い人」「ひがみっぽい人」とは、自分を高める努力を怠り、他人を引きずり下ろすことによって相対的に自分の価値を高めようとする人のことです。
損な性格とは、重要な過程を省略して結果だけを先取りしようとする性向のことです。結果を急ぐあまり、かえって事態を複雑にこじらせてしまっているのです。
誰でも、自分の悪い性格は直したいと思っているでしょうが、「マイナスの性格をプラスに矯正する」と考えると、とてつもなく困難なことのように思えて、挑戦する前からやる気も失せてしまいます。
「よい、悪い」の問題ではなく、「どれだけ時間をかけるか」の問題だと考えて、「少しずつ、心に余裕をもたせていけばよいのだ」と考えてみましょう。
人間関係は、一気に距離を縮めようとすると、誤解や思い込みなどにより、気持ちがすれ違ってしまうものです。
時間をかけて理解し合うことは、面倒ではありますが、それこそが人付き合いの意義であり、省略することのできない重要な過程なのです。
泥棒は、自分のほしいものが我慢できずに、「働いてお金を稼ぐ」という手間を省いて、他人のものを盗んでしまいます。
しかし、盗んだお金は身につかず、すぐに消えてしまうものです。それに引きかえ、捕まることを怖れてびくびくと逃げ回らなければならないという代償は、はるかに大きいといえるでしょう。
目の前の小さな利益に目がくらんだばかりに、後で大きな損をすることになってしまうのです。
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簡単に手に入れたものは、よろこびも少ないものです。
自分の足で山に登れば、頂上から見下ろす景色は美しく、空気もおいしく感じられるでしょう。
しかし、ヘリコプターで一足飛びに上ってしまえば、楽をしたぶん、感動も少なくなってしまいます。
すぐに結果を求める人は、心が満たされないから、それを何かで埋めようとしてしまうのかもしれません。しかし、すぐに結果を求めようとするから、いつまでたっても本当の満足はえられないのです。
手間をかけることを面倒だと考えず、「じっくり人生を味わう」のだと考えればよいのです。
現代は効率・スピード主義の時代ですが、手早く簡単にことがすめば、それだけ味わいも浅く、無味乾燥なものとなってしまいます。
「すぐに結果は見えなくても、地道に努力を続け、着実に自信を積み重ねる」ことが、遠回りのように思えても、結局、自分に自信をつけるもっとも早い近道であり、人生の味わいなのです。
「他人に認められたい」と思うと、勢い、結果だけを手早く求めることになってしまいます。
少しずつでも、自分の内側から自己評価を高めることが、もっとも確実な心の支えとなります。他人の評価は、あとから自然についてくるものなのです。
「頭では判っていても、なかなか実行できない」こともあるかもしれませんが、そこで焦ってはいけません。
「判っているのに、できない」のと、「できないが、判っている」のとでは、大きく違います。
「判っているのに、できない」と考えれば、焦りと自己嫌悪だけが募ってしまいます。
今はできなくても、頭で判ってさえいれば、少しずつでも理想に近づくことはできます。その姿勢こそが重要なのです。
(おわり)