No.261『求めるのではなく、捨て去る』
自分に自信をもち、堂々と主張できるようになりたい。
心から信頼し合い、何でも隠さず話し合える友人がほしい。
一生をかけて情熱を傾けられるほどの大きな夢や希望をもちたい。
人はよく、「何かがほしい」「何かをもちたい」と欲求します。
しかし、それを実際に手に入れたことがないので、どういうものかを想像することができず、まったく手の届かないほど遠いところにあるもののように思えて、途方に暮れてしまいます。
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どうすれば自信がもてるのか。どうすれば人を信じられるのか。どうすれば将来に希望がもてるのか。
それを言葉で説明するのは、とても難しいことです。
それらは、無理にえようとしてえられるものではなく、心の底からうずくような衝動に突き上げられ、「そうせずにはいられなくなる」ものだからです。
人は、自然に心地よいものを求めるようにできているものなのです。
別の見方をすると、そういう衝動がわき上がってこないのは、何かが邪魔をして心にフタをしているせいかもしれません。
その邪魔をしているものを取りのぞいてやればよいのです。
「どうすれば手に入れられるか」と考えるよりも、「何を捨てればよいか」と考えたほうが、頭に思い描きやすく、対策も立てやすくなります。
自分に自信をもつためには、どうすればよいか。
多くの人は、何かひとつでも他人に負けない特技をもち、殴られたら殴り返す度胸をもち、強くたくましくあらねばならないと考えてしまいがちです。
しかし、そのようにガチガチに鎧で身を固めた自信などというものは、本当の自信ではなく、「勝って、相手を見くだしたい」という浅ましい利己心にすぎません。
本当に自信のある人は、でしゃばらず、強がらず、つねに他人を立てることができるものなのです。
「自信がもてない」と悩んでいる人は、つね日ごろから他人にバカにされ、敗北感、屈辱感を味わっているのかもしれません。
しかし、あえて言うなら、他人から叩かれるのは、能力が足りないからではなく、つねに他人と較べての優劣や勝敗にこだわり、虚勢を張っているからです。
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何ひとつ取り柄がないという人でも(そんな人はいませんが)、他人の長所を認めることはできます。
他人のよいところを認め、謙虚に学ぶということは、数ある人間の長所の中でも、最高にすばらしいものだと言ってもよいでしょう。
他人を立てることができる人をバカにする人はいません。他人を認めることができる人は、やがて他人からも認められるようになります。
自分の長所は、強く主張して認めてもらおうとしなくても、他人が探してくれるものなのです。
自信とは、他人に勝つことによってえられるのではなく、「他人に勝ちたい、認められたい」という欲求を捨て去ったとき、静かに芽生えてくるのです。
心から信頼できる友人をもつには、どうすればよいか。
その答えは、「友人は、つねに完璧に自分の期待に応えてくれるべきである」と強要することをやめることです。
人生に夢や希望をもつには、どうすればよいか。
その答えは、「自分は、皆から注目され、尊敬されるべき特別な人間である」という過剰な自意識を捨てることです。
「自分に自信がもてない」「自分を愛せない」という人は、あまりにも自分を大切にしすぎているのです。
手垢がつかないようにと、せっかく買った本を読まずに桐の箱にしまっているようなものです。
本であれば、読むためと保存するために2冊を買うこともできますが、人生はたったひとつしかありません。
たとえ手垢がついてぼろぼろになっても、人に読んでもらうことによって本は価値をもつのです。
自分を大切にするということは、自分を捨て去るということです。
捨て去るといっても、粗末に扱うという意味ではなく、自分を生かすために、思いきって身を投げ出すということです。
「傷つきたくない」と殻にこもるのではなく、「傷ついても輝ける人生を送るには、どうすればよいか」を考えなくてはなりません。
「たとえきょう死んだとしても後悔はない」という覚悟で一日一日を精一杯生きることが、命を大切にするということなのです。
何かがほしいと思ったとき、自分にはそれが足りないのではなく、むしろ過剰に執着しているのではないかと考え直してみてください。
「何ひとついいことがない」という人は、実は、「何もかも」と欲張っているのです。
「誰も私を認めてくれない」という人は、実は、すべての人から認められようとしているのです。
「自信がもてない」という人は、実は、自分の能力を過大に評価しているのです。
しがみついているもの、握りしめているものを手放すことによって、心の見通しがよくなり、本当に大切なものが見えてくるようになるでしょう。
(おわり)