No.267『適切なプライドをもつ』
「私はダメな人間だ」と、ことさらに自分を卑下してしまう人がいます。
せっかく恋人ができても、「私のどこを好きになってくれたのかが判らない」「なぜ私のような人と付き合ってくれているのだろう」と、自らをおとしめるような言い方をするのです。
そういう人は、慎ましくへりくだっているように見えて、実は異常なほどに強い自己愛を胸のうちに秘めていることが多いものです。
「私と付き合っても、楽しくありませんよ」と突き放せば、恋人は気を遣って、「いや、私はあなたが好きなのです。あなたと付き合いたいのです」と言い返してくるでしょう。
他人を求めるよりも、他人から求められるほうが気分がいいものです。
つまり、恋人をそう仕向けて、「相手がどうしても付き合いたいと言うから、私はその期待に応えてやっているだけなのだ」ということにしたいのです。
(↓広告の後につづきます)
「私はダメな人間だ」というのは、本当は、「そんな私のすべてを受け入れてほしい」という訴えです。
「私と付き合うには、人並み以上の度量が必要ですよ。その覚悟がありますか」と他人に高い要求を突きつけているということなのです。
もしも恋愛がうまくいかなかったら、それは自分がダメな人間だからではなく、「私をちゃんと理解してくれなかった相手がダメだった」ということになります。
自己愛の強すぎる人の特徴は、「都合の悪いことは何でも他人のせいにする」ということが挙げられます。
「私が望んで付き合っているのではない」ということにしておけば、いつか恋人に嫌われたときに、「ほら、だから、はじめから私なんかと付き合わないほうがいいと言ったでしょう」と、相手のせいにして言い訳をすることができます。
自分を卑下しすぎてもいけませんが、かといって、「私は愛されて当然だ」と思い上がるのもよくありません。
恋人に対して、「私のような人間と付き合ってくれて、ありがたいことだ」という謙虚な気持ちをもつことは、悪いことではないのです。
自分の弱さや欠点を正確に把握し、つねに自分を省みるという態度は重要です。
問題は、そう思うことによって、よろこびを感じるか、それとも不安を感じるかということです。
心からそう思っている人は、付き合ってくれている恋人に感謝し、できるかぎりの恩返しをしようという前向きな気持ちになれるはずです。
不安しか感じられない人は、自分を卑下しているのではなく、本当は「自分を理解してくれない相手」を見くだしているのです。
人間には、適切なプライドが必要です。
人間を数値で評価することはできませんが、便宜上、点数で表すとするなら、適切なプライドとは、70点の人が「私は70点である」と正しく認識するということです。
80点の人が「私は100点である」と思い上がっているよりも、50点の人が「私は50点である」と正しく認識しているほうが、精神は健康であるといえるのです。
(↓広告の後につづきます)
「どんなに取りつくろっても、自分は自分だ。それ以上でも以下でもない」と、腹を据えて、流れに身をまかせるしかないのです。
よいも悪いもなく、「これが自分だ」と、ただ冷静に認めるのです。
ありのままの自分をさらけ出せば、他人からバカにされるのではないかという不安を感じるかもしれません。
しかし、自分の心としっかり向き合えば、他人を冷静に観察することができるようになり、「他人をバカにする人もまた、自分に自信がもてずに怯えているのだ」ということが見えてくるでしょう。
不毛な意地の張り合いから抜け出しただけ、自分が一歩先に進んだことになるのです。
100点の人生を歩む必要はありません。
そもそも、何に価値を置くかということは人それぞれですし、見方を変えれば評価も変わります。
50点の人が、「私は50点である」と正しく認識するならば、「自分を受け入れているか」という評価基準では100点となります。
「自分に自信がもてるか、どうか」ということも、自分という人間のほんの一面にすぎません。
自分に自信をもつための第一歩は、「自信がもてなくても、別にいいじゃないか」とおおらかに構えることです。
自信がないことが悪いのではなく、そんな自分を責め、苦しみから逃れるために言い訳をしたり、他人に責任を転嫁したりすることがいけないのです。
都合の悪いことを他人のせいにしても、結局、「つまらない人生を送る」というもっとも重い責任を自分でとらされることになります。
本当にそのままの自分を受け入れれば、すっきりとすがすがしい気分になれるはずです。
現在の自分が何点であろうが、つねに少しだけ上を向いて歩いていけばよいのです。
他人と点数を競って見栄を張ったりひがんだりするよりも、自分を受け入れることのほうがはるかに大切なのです。
(おわり)