No.262『願うことと、受け入れること』
好きな人ができると、心が浮き浮きとして、日々の生活に張り合いが感じられるようになります。
自分も相手から好かれようと思い、努力して自分を向上させようという気力がわいてきます。
しかし、愛情に執着しすぎると、かえって自分をしばりつけ、自分を傷つけることにもなりかねません。
自分の愛情が完全に受け入れられ、しかもそれが永久に続くということは、ほとんどありえないことだと言ってもよいでしょう。
願望や期待が大きければ大きいほど、愛情が受け入れられなかったときや愛情を失ったときの痛手も大きくなります。
「こんなに傷つくくらいなら、愛さなければよかった」「もう二度と人を好きになったりするもんか」と思う人もいるかもしれません。
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何かをえようと努力するということは、それがえられなかったときの失望と向き合う覚悟を決めるということです。
幸せを感じるということは、その幸せを失うという悲劇のはじまりでもあります。
出会いがあれば必ず別れがあり、手に入れたものは必ずいつかは失います。
では、悲しみから逃れるためには、はじめから何も求めなければよいのでしょうか。
いえ、それでも私たちは、何かを求め、願い、期待せずには生きていくことはできません。
「はじめから何も求めなければよい」というのであれば、そもそも「生まれてこなければよかった」ということになってしまいます。
「人はいずれ死ぬのだから、何をやっても無駄だ」ということには、けっしてなりません。
いつかは失うものであっても、いま幸せを感じることには、やはり意味があるのです。
ともかく私たちは、何かを求めつつも、「現実を無理に変えることはできない」ということも認め、折り合いをつけていくしかないのです。
本当の不幸とは、ほしいものが手に入らないことでも、何かを失うことでもなく、「未来に何の希望ももてないこと」です。
求めるものがあることが、幸せなのです。
不足や欠乏感がなければ、希望もありません。悲しみがなければ、よろこびもありません。
すべてが思いどおりになれば、人生はただ退屈なだけでしょう。
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「このままでいいのか」と自分を駆り立てることと、「このままでいい」と自分を受け入れること。このふたつは、相反することのようですが、どちらも大事なのです。
「求めても、結果にとらわれない」という姿勢が大切です。
帆船は、風を受けることによって進むことができます。
人間の力で風を起こすことはできません。風がないときには、ただ風を待つしかないのです。
重要なことは、いざ風が吹いたときに、その力を最大限に利用できるよう、つねに万全の準備を整えておくことです。
何かを求めること自体は、悪いことではありません。
「求めれば不満が生じる」ということもふくめて、結果を受け入れる覚悟さえあればよいのです。
どんなに求めても、願っても、現実は思いどおりにならないこともあります。
しかし、幸せとは、具体的なものごとの中にあるのではなく、私たちの心に宿っているのです。
たとえ現実は思いどおりにならなくても、「自分は何をなすべきか」をつねに真剣に考え続けていくことが、よい人生を送るということです。
自分がよいと思うことをすれば、心が充実し、よろこびを感じられます。それ以上に何を望むことがあるでしょうか。
何かを願いながらも、思いどおりにならない現実をも受け入れる。その両方を満たして、はじめて幸せと言えるのです。
(おわり)