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リラックスブック(だいわ文庫)
たかたまさひろ(著)
定価 770円(税込)

人づきあいが苦手、小さなことですぐムカッとしてしまう、自信がない、そんなあなたの心を軽くする本
こころのお掃除、始めましょ
メッセージ No.030-039

No.030『身の丈に合った交友範囲をもとう』

携帯電話とプリクラが、特に若者の間で急速に普及した背景には、大きな共通項があります。
携帯電話もプリクラも、「自分には、友達がたくさんいて、楽しい人生を送っているのだ」と見せかけるための小道具であるという点です。

携帯電話のメモリーに何件の友人の名前があるか、どれだけ多くの友人とプリクラ写真を撮っているか、が自分のステイタスの象徴なのです。
また、友人の前で、「私の友人は、別にあなただけじゃないのよ」と見せつけて優越感に浸ることもできます。
逆に、「自分だけが持っていなければ、友人の少ないつまらない人間だと思われるのではないか」という不安を抱いてしまっています。

もう、無意味な意地の張り合いはやめにしましょう。
交友を広げること自体が悪いというのではありません。ただ、必要以上に広げすぎることは、まったく意味のない、虚しいことです。
ひとりの人間が付き合える範囲には、限度があるのです。
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No.031『幸せを受け入れる勇気をもとう』

いったい、不幸な人とは、与えられたものへの感謝を忘れ、ないものばかりを数えて不平を言い、悪いことは何でも人のせいにして、自分をごまかしながら生きている人のことです。
「不運」は誰にでも起こり得るものですが、「不幸」は自らの心の持ち方が招いてしまうものです。
誤解を怖れずに言えば、「不幸」は本人の責任です。

不幸な人は、他人に認められ、愛されることを「心の底では」求めています。
しかし、実際に心優しい人が現れ、自分のすべてを受け入れてくれたとしても、今度はその人を怖れ、避けてしまいます。

不幸な人は、自分に自信がないから、幸せな人の前では、「この人に較べて、自分は何と情けない人間なのだろう」と、劣等感をますます深めてしまうのです。
「どうせ自分なんか、いずれ嫌われるに決まっている」と思い込み、怖れを感じます。
そして、幸せな人を怖れ、幸せになるチャンスを逃してしまいます。
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No.032『自然な振る舞いを心がけよう』

観光地などの飲食店で、店員さんが店先で、「いらっしゃいませ! お席は空いておりますので、どうぞお入りください!」と、大声で叫んでいるのをたまに見かけます。
熱意があるのは判りますが、客の心理をまったく理解していない、下手くそな商売のやり方です。そういう店は、たいてい流行っていません。

普通、人は、まったく知らない店に、「お入りください」と言われたからといって入るものではありません。
まずメニューのサンプルや店内の雰囲気などをのぞいて見て、なかなかいい感じだと判断してから、入るのです。
店先に店員さんに立っていられては、立ち止まって店内をのぞくことにも気後れを感じてしまいます。少しでものぞけば、必ず入らなければならない雰囲気になってしまうのではないか、という威圧感を受け、皆、素通りしてしまうのです。
最初からこの店に入ることを決めてきた人は、わざわざ呼び込まなくても入ってくれるのですから、「呼び込み」はまったく無駄な行為だと言えます。

人付き合いの下手な人は、これに似たことをしてしまっています。
なかなか友人や恋人ができないと悩んでいる人は、少しでも自分に優しく接してくれる人がいると、「この人を逃がすまい」として、いきなり深い付き合いを要求し、束縛しようとします。
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No.033『陰口をやめよう』

「自分自身を愛することができない。具体的に何をどうすればよいか判らない」という人には、まず「金輪際、他人の悪口を言わない」という目標を自分に課すことをお奨めします。悪口の中でも、特に、本人のいないところで言う「陰口」は絶対にやめた方がよいでしょう。
もし、あなたがまわりの誰かにいつも腹を立て、少しでもそのストレスをなくしたいと考えているなら、なおさらです。

不満を腹にため込むのは、精神の健康にとって、よくないことであるのはたしかです。しかし、陰口でうっぷんを晴らすことが解決になるとは思えません。
あなたが、「どうしても腹が立つ人がいるから、ストレスがたまり、陰口を叩かなければ気がすまない」と考えているのだとしたら、それは間違いです。
「あなたが陰口を叩くような性格だからこそ、ストレスがたまる」のです。

他人に対して不満があるなら、相手に直接言うか、それができないなら誰にも言わないか、どちらかに決めましょう。
他人にどんなに不愉快な思いをさせられたとしても、面と向かって文句を言えないくせに陰で悪口を言うのは、その相手に劣らず卑怯な行為です。
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No.034『演技を控えよう』

人は、生きていく上でさまざまな役割を演じなければなりません。
デパートの店員は、わがままで横柄な客に対してどんなに腹が立っても、口答えすることはできません。店員は店員の役割を演じなくてはならないのです。
部下の前では上司を演じ、家に帰れば妻の前では夫を演じ、子供には父親を演じます。

誰にでも自分に課せられた役割、立場があるので、ある程度は個人的な感情を排して演技をしなければならないのは、仕方のないことです。
小学生でも、家の中と学校とでは態度を変えています。先生の前では生徒を演じているといえます。
しかし、立場上やむをえない場合は別として、大切な恋人や配偶者、友人などの前では、「役割を演じる」ことはなるべく控えた方がよいのではないでしょうか。

人がなぜ演技をするのかといえば、その方が被る損害が少ないという打算が働いているからです。
デパートの店員が客に逆らえば、後で上司に叱責されたり、悪くすれば降格やクビになったりする可能性があります。自分の職務上の立場を危うくするより、感情を抑えて演技をする方がましだと考えるのです。
同じように、彼氏の前で「よい彼女」を演じたり、妻の前で「よい夫」を演じたりするのは、「自分が嫌われる」、または「世間体を悪くする」という損害をできるだけ少なくするためです。
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No.035『他人に期待することをやめよう』

他人に対して、期待をしてはいけません。
そう言うと、何だか冷たいことのように思われそうですが、そうではありません。
親友や恋人を信頼し、尊敬し、感謝するのはよいのですが、期待をするのはよくありません。
他人に期待するとは、「自分に何らかの利益をもたらしてくれることを当然のように要求する」ことです。
親友なら、恋人なら、こうしてくれて当然である。——そういう考え方が、結局は自分を苦しめます。

信頼していた恋人に裏切られた時、人は大きなショックを受けます。
しかし、そういう時こそ思い出してください。あなたは、なぜその人と付き合っていたのですか。
誰かに強制されたわけではありません。見栄や義理のためでもありません。もしそうなら、そもそもそれは本当の愛ではなかったのですから、真剣に悩む必要もありません。
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No.036『目標とする人を見つけよう』

人は、嫌なことがあったとき、それが自分のせいであっても、つい自分の弱さをごまかしたり、責任を転嫁したりしてしまいがちです。
自分のさもしい考え方に嫌悪感を抱きながら、なかなか素直になれず、逆に腹を立て、裏腹な行動をとってしまうものです。いわゆる「逆ギレ」です。
人がもっとも腹を立てるのは、自分の劣等感に触れられたときです。怒りっぽい人というのは、それだけ劣等感の深い人だといえます。

自分が劣等感を感じながらも、克服しようとせず、ごまかし続けている人は、それを他人に掘り起こされることを怖れています。
せっかく「自分を変えたい」という意思をもっても、それが実現できなかったときには、かえって「どうせ自分はダメな人間だ」と嫌悪感を深めてしまうことになります。
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No.037『自分を罰することをやめよう』

人は、他人に受け入れてもらえず、不満を抱いたとき、他人を罰するタイプと、自分を罰するタイプの二通りに分かれます。
誰にでも、どちらかの傾向があるものですが、度が過ぎてしまうと、人格にさまざまな問題が生じてきます。

相手を攻撃する外罰型の人は、「自分がそんな性格だからこそ愛されないのだ」ということは誰の目にも明らかです。
当人もその点は自覚しているのですが、ただ克服する勇気がなく、ごまかし、強がっているだけなのです。当人がいつ、「生まれ変わろう」と目覚めるか、それだけが問題です。
問題点が明白である分、解決策も見えやすいと言えるでしょう。

解決が難しいのは、内罰型の人です。
自分を罰するタイプの人は、「どうせ自分は、価値のない人間だ」と言っておきながら、心の底では自分が悪いとは思っていません。
やはり他人が悪いと思っている点では、本質的に外罰型の人と同じです。
あからさまに他人を批判するのはみにくいことだと判っているので、「自分はこんなにも傷ついている」と示すことで間接的に他人を批判しているのです。何も言わなくても他人は自分の気持ちを察するべきだ、と主張しているのです。
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No.038『状況を区別して判断しよう』

高所恐怖症の人は、ビルの高層階で、完全に閉め切った窓から外を見るだけでも、足がすくんで腰を抜かしてしまいます。
絶対に落ちる危険のない状況なのに、いったい何に対して怖がる必要があるのかと、普通の人は疑問に思います。

建築途中のビルの鉄骨の上を渡れと言われれば、高所恐怖症の人でなくとも、誰でも怖いはずです。それは現実に落ちる危険があるからです。
本当に危険なことを怖れるのは、人間の防衛本能として当然のことです。しかし、不安の強すぎる人は、危険性のあるものとないものを区別せず、似たような状況のものを何でも一緒くたにして怖がってしまっているのです。

普通に生活していて、高い所から落下するなどという危険な目にあうことは、まずありません。よほど特別な状況です。
高所恐怖症の人は、特別な状況を一般化して、「高い所」イコール「怖い所」という不安にとらわれてしまっているのです。
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No.039『自分を知れば他人が判る』

人付き合いに不安を感じるのは、他人の心が判らないからです。
他人の心が判らないという人は、自分の心が判っていない人です。

まず、はっきりさせておかなければならないことは、「他人の心を完全に知る」ことなど誰にも不可能だということです。
同様に、自分の心を完全に他人に理解してもらうことも不可能です。
自分の悲しい体験を、ある友人が心から同情してくれたとしても、やはりその友人本人が体験をしたわけではないのですから、まったく同じ悲しみを共有しているわけではないのです。

言うまでもなく、心は形のないもので、目には見えません。自分の心は自分しか所有することはできず、他人と共有することはできません。人間とはそういう孤独な存在であるということを認めなくてはなりません。
他人の心を読むというのは、あくまで、「自分が相手の立場なら、こう考える」と想像することにすぎないのです。
そして、この「想像するにすぎない」というところが重要な点です。
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