No.075『受け入れることで、成長できる』
子供が非行に走ったり、不登校になったりすると、たいていの親は、どうにかして立ち直らせようとします。怒鳴りつけてみたり、泣き落としてみせたり、必死になって説得を試みます。
子供のためを思う親心は判りますが、実は、親のそういう「必死な態度」こそが、子供をますます追いつめ、苦しめてしまうのです。
親が何とか子供を立ち直らせようとする気持ちの裏には、「あなたは、今のままではダメなのよ」という前提があります。「立ち直らなければ、あなたは、人間として価値がないのよ」と脅迫しているのと同じです。
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誰も、好きこのんで非行に走ったり、家にひきこもったりするわけではありません。本当は、自分自身が一番苦しんでいるのです。
子供が親に心を閉ざすのは、「自分は無条件で愛してもらっていない」という悲しみを訴えるための抵抗です。その最後の手段さえも否定されてしまえば、絶望するしかありません。
親が、「あなたは間違っている。心を入れ替えなさい」と必死になればなるほど、子供は、自分が問題児扱いされていることに傷つき、「こうなってしまったのは、自分のせいではない」ということを示すために、ますます意固地になり、抵抗を強めてしまいます。
親は、何より、子供のありのままの姿を認めなければなりません。「立ち直ってくれればうれしいけど、今のままでもいいのよ」と、子供を許し、すべてを受け入れるのです。
許すことは、決して「甘やかす」ことではありません。
「変わること」を強要するより、「今のままでもいいのよ」と認めてあげたほうが、子供が変わってくれる可能性は格段に高くなるのです。
子供自身も当然、この世に生まれてきた以上、幸せな人生を歩みたいと思っているに決まっています。心のわだかまりを取り払ってやれば、自分の力で幸せに向かって歩き始めることでしょう。
恋人や友人がなかなかできないと悩んでいる人は、何とかして他人と親しくなろうと必死になってしまいます。
しかし、誤解を怖れずに言えば、人付き合いにおいて、「必死になる」のはよくありません。
必死で他人と親しくなろうとする人は、えてして、「相手に自分を認めさせること」ばかり考えてしまいます。自分のことで頭がいっぱいになり、冷静さを失い、人間関係でもっとも重要な「相手を思いやる気持ち」を忘れてしまうのです。
そういう利己的な態度こそが嫌われ、結局、「自分はこんなに努力しているのに、どうしてそれを理解してくれないのか」と相手を責めることになってしまいます。
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「親しくなれればうれしいけど、そうならなくても別によい」と気軽に考えたほうが、結果的にはうまくいくものなのです。
自分の主張を押し通そうとするから、必死になってしまうのです。相手の人間としての価値を認め、尊重するのに、必死になる必要などありません。
相手が自分を認めてくれてもくれなくても、自分はただ、相手を無条件に認めればよいのです。そういう人こそが、結果的に、多くの人に認めてもらえるのです。
人間関係にも、力学と同様、「作用・反作用の法則」が働いています。自分を押しつけようとすればはね返され、相手を認めれば自分も認めてもらえます。
自分を愛せない人は、「今の自分は嫌いだ。何とかして変わりたい」と、現在の自分を否定してしまっています。
しかし、否定から進歩は生まれません。
逆説的に聞こえるかもしれませんが、「今のままでもいい」と受け入れてはじめて、成長することができるのです。
人間は、一生かけても完璧にはなれません。程度の差はあっても、死ぬまで発展途上なのですから、同じことです。発展途上の現在を否定することはありません。
今の自分を土台として、これから少しずつ積み上げていけばいいのです。
自分自身を愛するために心にとめておくべきことは、「他人と自分を較べて、焦りや不安を抱かない」ということです。
幸せは相対的なものではなく、絶対的なものなのです。
自分が80点であるとき、他人が70点なら自分は幸福だが、他人が90点なら自分は不幸、などというばかげた考えは捨てることです。
他人と比較しての優越感など、本当の幸せではありません。
思想家のモンテスキューは、いみじくもこう述べています。
「ただ単に幸せになりたいと思うなら、それは簡単に実現できる。ところが我々は、他人よりも幸せでありたいと願う。それが難しいことなのだ」
他人と比較することなく、ただ「幸せになる」ことは、今すぐにでも、誰にでもできることです。
まず、現在の自分をありのままに認める。それだけでよいのです。
自分に「ないもの」を数え上げてもきりがないのと同じように、「与えられたもの」も、数え切れないほど無限にあるはずです。
(おわり)