No.250『最悪を想定することも必要』
何かに成功するためには、成功したときの自分の姿をイメージするとよいと言われます。
つねによいイメージを描いている人は、実際にうまくいくことが多く、悪いほうにしか考えられない人は、本当に悪いほうに向かってしまうものです。
しかし、そう言われても、何でも悪く考える癖のついてしまっている人は、簡単には考え方を変えられないかもしれません。
「なぜ明るく考えられないのか」とさらに暗い気分に落ち込んでしまっては、かえって逆効果です。
悪い結果を想像してしまうというのは、よく言えば慎重で堅実だということです。
悪いイメージも、考え方によってはとても大切なことです。悪いことはいっさい自分の頭から排除してしまえばよいというものではないのです。
「よいイメージを描く」というのは、たしかに成功の確率を高めるものかもしれませんが、それだけにとらわれるのは危険です。
「まさか遭難しないだろう」と楽天的に考えて、予備の食料ももたずに冬山登山に行くのは、賢明とはいえません。
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「こうなりたい」という自分の姿をイメージし、目標に向かって一直線に努力することも大切ですが、それと同じくらいに、「最悪の事態を想定する」ことも大切です。
誰でも、ものごとはうまくいったほうがよいに決まっています。そして、うまくいくように最大の努力はすべきです。
しかし、「うまくやること」が人生の目的ではありません。
「自分がどういう人間でありたいか」ということが何よりも重要なのです。
成功しなければ人生の値打ちがないと考えるのは、本当に前向きな生き方とはいえません。
失敗を怖れてしまうのは、「失敗したら、取り返しのつかない最悪の事態になってしまう」という固定観念にしばられているからです。
しかし、「それは本当に最悪なことなのか」と、もう一度考え直してみてください。
「仕事を失ったらどうしよう」と怖れている人は、もし収入が減ってしまえば、まともに生活ができないと思い込んでいます。
しかし、そもそも現在の収入でぎりぎりいっぱいの生活をし、自分より恵まれない立場の人に思いをいたすこともなく、永久に現在の状態が続くことが当然だと思って人生設計をしていることが間違いなのです。
もっと貧しくても、工夫して節約し、誇りをもって生きている人もいます。
生活ができないわけではありません。現在の慣れきった生活のレベルを下げることに我慢がならないというだけなのです。
「収入が減ったらどうしよう」と怯えながら生きている人と、貧しくても人生を楽しむすべを知っている人と、どちらが幸せだといえるでしょうか。
「恋人に嫌われたらどうしよう」と必要以上に怖れてしまう人は、恋人がどれだけ自分の役に立ってくれるか、つまり自分の損得しか頭にないのです。
相手への尊敬も信頼もなく、「裏切られたらどうしよう」と怯えながら、表面的な付き合いをどれだけ長く続けても、意味はありません。
恋人に振られることは、誰でもつらく悲しいものですが、だからこそ、そうならないよう相手を大切にし、感謝することに意味があるのです。
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恋人に振られることは、「最悪の事態」ではありません。
もともと、血のつながりもない赤の他人が、一時的にでも自分を愛してくれたことが、奇跡のような幸運だったのです。
恋人に会うたびに、「きょうかぎりの付き合いだ」という覚悟と緊張感をもって付き合ってみてください。
きょう一日、精一杯付き合って、それで終わり。明日もまた続くなら、神様からの贈りものだ。
毎日そう思いながら付き合えば、感謝と思いやりを忘れずに、濃密な付き合いができるのではないでしょうか。そして、いつか関係が壊れたとしても、それまでの付き合いが無駄になるということはけっしてないでしょう。
自分を取り巻く状況は、いつどう変化するか判りません。
努力の甲斐もなく、まったくの不可抗力によって、積み上げたものを一瞬にして失うこともあるでしょう。
しかし、「自分がえたもの」を失っても、自分という実態が変わるわけではありません。
物体に当たる光の色が変わっても、物体そのものには何の変化もないのと同じです。
何かをなしとげるためには、ねばり強く努力し続けることが必要ですが、同時に、結果に頓着しないということも重要です。この両者は矛盾するものではありません。
「失敗しても、人間としての価値が下がるわけではない」という自信に支えられているから、たとえうまくいかなくても、くさらず、怖れず、のびやかに前を向いて歩き続けることができるのです。
不運に見舞われたなら、「同じ境遇にある人たちを励ます」という、「つらい経験をした人にしかできないこと」をなしえることもできます。
それもまた、味わい深いひとつの人生です。
「人生を投げ出すな」というのは、「何がなんでも成功しろ」という意味ではありません。
「すべてを失っても、また一からやり直せばいい」と思えることが、本当に自分を大切にするということなのです。
「失敗したらどうしよう」という怖れは、ひょっとしたら、「形だけの幸せや見栄にこだわらないで、本当に大切なものに気づきなさい」という天からのメッセージなのかもしれません。
(おわり)